初めてのダッカ~知識人犠牲者の碑(ボッド・ブミ)~

知識人犠牲者の碑(ボッド・ブミ)は戦争の非人道性と冷酷さ、自分勝手さがよくわかる場所だ。

一九七一年の独立戦争末期、パキスタン軍は敗戦必至とみるや、独立後のバングラデシュの発展を少しでも遅らせようと、バングラデシュ人の知識層を街外れのレンガ工場へ次々連行した。そしてそのまま殺害した。そのレンガ工場があったのがこの知識人犠牲者の碑(ポッド・ブミ)があるここだ。

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アニスルによると、〝ボッド〟とは目隠しや手足を縛られた不自由な状態をさし、〝ブミ〟とは土地をさすという。未来のバングラデシュを思い描いていた人たちが、何が起こったか、どうなるのかわからないまま、突然殺される。負けても足を引っ張ろうとする愚かさに怒りを覚え、殺された人の無念を想像して思わず手を合わせた。

ここで殺された知識人は数千人とも数万人とも言われる。四角く切ってある空間は魂がそこを通って成仏できるようにという願いがあるという。こちら側とレンガの壁の間には幅五メートルほどの濠があって水を湛える。仏教的ではあるが、此岸と彼岸の境がこの濠ということになるのだろうか。

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怒り、無念、悲しみ…。だが、そこに勢いよく飛び込む子どもたちの歓声がそんな感傷を吹き飛ばす。アニスルによると、近所にあるスラムの子どもたちがプール代わりにしているのだとか。心静かに祈りを捧げる場所なのに注意する大人がいないなんて、大らかなバングラデシュらしい。

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ここでは男性、あちらでは女性が、神聖な場所に入って草取りをしていた。死者に深い敬意を表すためそうしているのかと思ったら、取った草は家畜のエサになるという。大らかというより目の前の暮らしに一生懸命で、他が目に入らないのかも知れない。

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帰りの車窓から見たスラム街。上半身裸で裸足の子ども、トタン屋根、竹の支っかえ棒、刈った草などあって確かに裕福には見えないが、思ったよりゴミは落ちていないし、子どもたちは何か食べたり、シャボン玉(?)で遊んだりしていて、どこか楽しげに見える。濠に飛び込んでいた子どもたちも奥歯が見えるほど大きな口を開けて笑っていた。実際、中に入れば違う可能性はあるが、貧困国のイメージが少し変わった。

この日は金曜日(休日)。普段、学校へ通っているのか、そうでないのかわからないが、何とかグレード4の壁を乗り越え、せめて小学校を卒業してくれることを願った。

様々な情緒を乗せ、車は奨学金について打ち合わせするモティジールへ向かった。

吉本:1052字