ゆっくりと虐殺は続く

ゆっくりと虐殺は続く
【Prothom Alo】火曜日、マレーシアクアラルンプールの常任民族裁判所で証人が、ミャンマーではゆっくりと虐殺は続いていると証言した。

1978年、ジアウル・ラーマン将軍が率いるバングラデシュ軍事政権は、バングラデシュから自国民(ロヒンギャ)を連れ戻さない限り戦闘行為も辞さないと、二国間協議を通じてミャンマー政府を脅したと、人権活動家で仏教徒のマウン・ザルニ氏は声明の中で述べた。

4日間の脅威を過ごしたあと、当時のミャンマーのネ・ウィン大統領は(ロヒンギャ)連れ戻すことに合意した。脅されたことを不名誉だと考えたネ・ウィン大統領は1982年市民法を策定し、ロヒンギャを無国籍にしたと補足した。

1948年から1962年までミャンマーにリベラル民主主義が存在していた。だが、ネ・ウィンがクーデターで権力を奪取してすぐ、ロヒンギャの権利は否定されたとマウン氏は指摘した。

それ以来、ロヒンギャはマウン氏が呼ぶ "ゆっくりとした虐殺"の犠牲者になっている。

ミャンマー政府のキャンペーンでは、アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)の攻撃を受け、軍が8月25日に作戦を開始したことになっているが、マウン氏は否定した。

ロヒンギャムスリム(イスラム教徒)は民俗的背景によって迫害されているという。

マウン氏は国際法におけるゆっくりとした虐殺という考えを導入した。

ノーベル賞受賞者のアマルティア・セン氏は、ラカイン州におけるロヒンギャへの最近の迫害はゆっくりとした虐殺だという見解に同意した。

マウン氏は自由ビルマ連合の創始者だ。ミャンマー政府はマウン氏がロヒンギャ支持者であると疑っている。

ロヒンギャはミャンマーの少数民族の1つだと呼ぶことについてマウン氏は、スコットランドの地理学者フランシス・ブキャナン氏が1778年にロヒンギャはアラカン(現ラカイン州)の原住民だったと言及したことを上げる。それゆえ、すべての点でロヒンギャはアラカン市民だと主張した。

マウン氏によると、1982年の市民法はロヒンギャへの虐殺を開始する道具だという。

アルゼンチンの弁護士ダニエル・フェイアースティンが率いる7人の裁判官は、本当にミャンマーの土地に存在していたかを尋ねた。

証人たちは容認したが、その数は50人未満だったと指摘した。

2人の証言者は、ミャンマー治安部隊と一緒にレイプや拷問を行った者たちはベンガル語を話したと主張した。

2人の証言者はロヒンギャの報道機関カラダン・プレス・ネットワークのティン・ソー編集長と記者のラジア・スルタナ氏だ。

ラジア氏は2016年10月から12月まで、軍事作戦の犠牲者になった9村21人のロヒンギャ女性をインタビューした。

21人の女性のうち19人が夫を失い、11人の母親の16人の子どもが殺された。

「私を含む100人の女性が集められ、10歳から12歳の女子を含む10人の美しい女性が分けられました」
ラジア氏はミャンマーのキャ・カット・チャン村の女性の言葉として証言した。

ロヒンギャではない他のイスラム教徒に対して行われた残虐行為に関する聴聞会は、本日(水曜日)に開催される。


Bangladesh News/Prothom Alo Sep 20th 2017
http://en.prothom-alo.com/bangladesh/news/160133/Slow-genocide-continues-in-Myanmar
翻訳:松本
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