ロヒンギャ連れ戻しを提案

ロヒンギャ連れ戻しを提案
【The Daily Star】ミャンマーは2日、バングラデシュに避難するロヒンギャを連れ戻すことを正式に申し入れた。ただし、これほど大規模な難民の再移住をどのように実施するかについては示さなかった。

一方、バングラデシュは再移住を推進する二国間協定を提案し、現在バングラデシュ訪問中のミャンマー外相に協定の草案を手渡した。

両国はロヒンギャを再移住させる合同作業班の結成にも合意したが、結成完了の期限は定めなかった。

バングラデシュのAH・マームード・アリ外相は国立ゲストハウスパドマで、ミャンマー国家顧問事務所統合大臣のチョー・ティン・スー氏と1時間にわたる会談を行った後、記者団にこれらの進展について明かした。

「我々は危機の平和的解決を待ち望んでいます」
外相は作業班は間もなく結成されることを期待していると補足した。

国連が"近年最も急速に拡大している難民危機"と呼ぶ前例のない難民流入の対処にバングラデシュが苦戦する中での会談だった。

8月下旬以降、ラカイン州の軍による弾圧から逃れるため、国境を越えてバングラデシュに入ってきたロヒンギャの数は50万7千人に達した。

国連はこの残忍な軍事作戦を"民族浄化の典型例"として批判した。

ミャンマーは残虐行為を否定し、治安維持部隊は8月25日の一連の暴力行為を引き起こしたロヒンギャ"テロリスト"と戦っているとする。

「ミャンマーはロヒンギャ難民を連れ戻す申し入れを行いました。再移住手続きを調整する合同作業班の立ち上げについて、双方が同意しました」
外相は記者団に話した。

質問に対し外相は、作業班結成は両国が名前を提示した後、ただちに実施すると話した。

再移住計画の詳細は作業班の議論を通して組み立てられる。

作業班結成の期限がいつになるかについてはこう回答した。
「我々は待つ必要があります。ですが、議論を始めましょう」

チョー・ティン・スー氏はメディアに対してコメントを出さず、昼食会後の午後1時半ごろにゲストハウスを離れた。

チョー氏は昨日早くにバングラデシュへ到着した。会談後に他の予定はなく、今朝早くにタイ航空の便でバングラデシュを発つ予定だ。

会談にはアサドゥッザマン・カーン・カマル内相、モハンマド・シャハリアル・アラーム外務担当国務相、カマル・アブドゥル・ナセル首相第一秘書、モハンマド・シャーリアール・ホク外務次官を始めとする高官が同席した。

ミャンマーの事実上の指導者アウン・サン・スー・チー国家顧問の代理であるチョー氏と、"非常に誠意のある友好的な"会談ができたと外相。

「会談で、ミャンマーの大臣(チョー氏)に提案書の草稿を渡しました」
詳細については言及しなかった。

外交筋によれば提案書は4ページで、現在故郷を追われてバングラデシュに滞在するロヒンギャの再移住をミャンマーがどう開始するかの詳細が書かれていたという。

提案書ではミャンマーに対し、1カ月以内に再移住を開始するよう要請した。さらに1993年協定に基づき、既に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)やミャンマー、バングラデシュで認証を受け、ナヤパラ(Nayapara)とクトゥパロング(Kutupalong)キャンプに滞在する登録難民の再移住を始めることも提案した。

ロヒンギャのうち2415人が3者全てから認証を受けている。バングラデシュは昨日の会談で、これらの人々の再移住を最初に行うべきだと提案した。

バングラデシュは8月流入以前から、既に30万人以上のロヒンギャに住む場所を提供している。

外相は6分間の記者会見で、内相が近いうちにミャンマーを訪問し、ミャンマーとの交渉の進行を支援してくれることも明らかにした。

「国境と治安の問題について、実りある議論となりました」
ミャンマー訪問は国境管理改善のためのいくつかの手立てについて、最終的な形が出来上がるだろうと補足した。

チョー氏が危機の解消について誠実さがあったかと尋ねられた外務省上級職員は、状況について十分認識しているようで、疑惑についての反論や討論は行わなかったと話した。

バングラデシュの外務専門家らは昨日の会談を良い方向へ進展すると見ているが、ミャンマーが過去に約束を破り、バングラデシュに非協力的な態度を見せたことについて言及した。

会談の参加者らによれば、バングラデシュはロヒンギャへの迫害と流入を終わらせ、アナン委員会の勧告内容を実施するよう求めたという。

チョー氏はこれに対し、ラカインでは9月5日以降軍事作戦が行われておらず、地元自治体はロヒンギャに安全と治安を提供するために適切な措置を取ったと強調した。

また、現在進んでいる流入について、ラカインの多数派民族集団がロヒンギャを脅かし、国を去らせる原因になった事件がいくつかあったことを認めた。

チョー氏によれば、ラカインの州首相は被害地域を訪問し、現地の治安を保証するとともにロヒンギャに国を去らないよう訴えているという。だが、国境を越えたロヒンギャたちはラカインに電話をかけ、仲間にバングラデシュに来るよう手引きしている。

会談参加者らによれば、チョー氏はバングラデシュに対し、問題を真剣に調査するよう求めたとされる。

昨日、ラカインの新たな迫害を恐れ、テクナフ(Teknaf)のウルボニア地点から6千人以上のロヒンギャがバングラデシュに入ってきたと報じられていることにも言及した可能性がある。

バングラデシュのアリ外相は会合でテロを一切容認しない立場であることを繰り返し話し、さらにアナン委員会勧告を完全に実施すよう求めた。

8月24日、アナン委員会はラカイン州全ての人に移動の自由を与えるとともに、ロヒンギャの市民権を剥奪した1982年法を見直すよう勧告を出した。

これに対し、スー・チー氏は先月行った国民演説の中でアナン勧告を実施することに尽力すると発言したと、チョー氏。

さらに、ミャンマーはバングラデシュとの1993年協定に基づき認証手続きを開始する準備が整っており、"この国から出た難民は一切の問題なく受け入れられる"と発言したことに言及した。

バングラデシュは1978年と1991年にもミャンマーからのロヒンギャ難民流入に直面した。

1978年には約20万人の難民がミャンマー軍の迫害を逃れバングラデシュへ渡った。この問題は外交努力で、16カ月間で解決した。

1991年中頃と1992年中頃には推定25万人の難民がバングラデシュに避難したが、二国間協定により、数千人を除く全員が帰還した。

1993年5月12日にはバングラデシュとミャンマー間で覚書(MoU)が署名され、UNHCRは日中、全ての難民キャンプに自由に出入りできるようになった。

1993年11月5日にはミャンマー当局とUNHCRの間で新たにMoUが署名された。バングラデシュ国内でUNHCRが援助するキャンプに暮らす人々の自発的な再移住を後押しするものだった。

当時のミャンマー政府は難民に対する必要な認証を行った後、それぞれの故郷に戻ることを許可すると約束した。

さらに、既存の法と規則に従い、帰還難民にはラカイン州の他の国民と同じように移動の自由が認められると発表した。

Bangladesh News/The Daily Star Oct 03 2017
http://www.thedailystar.net/frontpage/myanmar-take-back-rohingyas-1470688
翻訳:長谷川
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