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バングラデシュ情報部~日本語を学ぶ若者たち~

ダッカにあるデータソフト社で日本語を学ぶ若者たち。将来は日本支社で働くことを希望している。言葉だけでなく文化も学んでいるのか、手を前に組む姿が堂に入っている。 「今はとくにおんしゃのネット銀行のプロジェクトに注目しています」 「うちは色々な… 続きを読む

バングラデシュ情報部~いろんな商売~

ダッカにはいろんな商売があるようで、これはシール貼り屋。信号で停まっているCNGの幌部分に普通に近づき、勝手にシールを貼っていく。CNG協会のようなものがあってそこから嘱託を受けているのかも知れないが、それなら前のシールを剥がしてもっときれ… 続きを読む

初めてのダッカ~帰り道~

マニクゴンジからの帰り道、フィナンシャルエクスプレス紙のアポ時間が迫っていたため、運転手はスピード上げた。だが、そこは郊外と雖もバングラデシュ、たくさんの車やリキシャ、CNGが道を走っている。だから走り続けることはできず、時々スピードは下が… 続きを読む

初めてのダッカ~Go west~

旅程三日目は市内の喧騒を抜け、ダッカから西へ向かった。この日は土曜日。バングラデシュでは金曜日と並んで学校や官庁の休日だ。にも関わらず、かなりの混み具合だ。アニスルによると収入を求めて地方から流入する人が増えたことと、休日が商売になることが… 続きを読む

バングラデシュ情報部~ボシュンドラ・シティ~

2004年8月にオープンした複合ショッピングセンター。モール部分は8階までの吹き抜けになっている。新車の展示やファッション系ショップ、電気店など、日本でもよく見かけるショッピングセンターかと思いきや、 裁縫文化が残っているのか、生地ばかり売… 続きを読む

バングラデシュ情報部~Dhakar(ダッカっ子)自慢の建物~

ダッカっ子自慢の建物。 設計は二〇世紀を代表する米国人建築家ルイス・カーン。 着工は独立戦争前の一九六六年。だが、完成したのは独立後の一九八三年だという。 カーンは完成を見ることなく死去した。 さて、この建物は何でしょう? ヒント:ベンガル… 続きを読む

バングラデシュ情報部~ダケシュワリ寺院~

イスラム教徒が多数派を占めるバングラデシュで、800年の歴史があるというヒンズー寺院。ダッカという地名はここから取られたという説もある。 現在の寺院は200年ほど前に建てられたという。 生後6カ月の子が“お食い初め”をやっていた。 国籍や宗… 続きを読む

初めてのダッカ~知識人犠牲者の碑(ボッド・ブミ)~

知識人犠牲者の碑(ボッド・ブミ)は戦争の非人道性と冷酷さ、自分勝手さがよくわかる場所だ。 一九七一年の独立戦争末期、パキスタン軍は敗戦必至とみるや、独立後のバングラデシュの発展を少しでも遅らせようと、バングラデシュ人の知識層を街外れのレンガ… 続きを読む

初めてのダッカ~路地の風景~

車は相変わらずクラクションを鳴らしながら北上する。目的地はベンガル語でポッド・ブミと呼ぶ〝知識人犠牲者の碑〟だ。 その途中で見かけた電線。これだけ人口密度が高いと各世帯へ引き込む電線はものすごい数になるのだろう。私鉄が地下鉄に乗入れ、都心を… 続きを読む