初めてのダッカ~マニクゴンジ県クッライ村~

ダッカから西へ向かった。

昼間は立ち入りが制限される農村部からのトラックが大量にとまるエリアを横目に見ながらハイウェーに入った。ハイウェーと言っても郊外へ向かう広めの国道といった感じでもちろん無料だ。ダッカ市内ほど混んでいないがリキシャやCNGが道を塞いだり、突然出てきたりして、やっぱりクラクションは頻繁に鳴る。それでもずいぶん静かに、そしてスムーズに車は進んでいく。

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ダッカ県シャバール(Savar)で一旦停止し、独立記念碑を見た。ここは1971年の独立戦争のとき、パキスタン軍によって虐殺されたバングラデシュ人の遺体が運び込まれ、埋葬された場所だ。今でも毎日大勢の人は訪れるが、この日も午前中だったにも関わらず、学生らしき人たちがいた。

郊外に向かうに連れ、確かに人の姿は減ってきた。だが突然現れるいくつかの町では大勢の人、それも若い人たちがたくさんいて活気に満ちている。バングラデシュの人口はおよそ1.6億人。そのうち15~64歳までの労働人口が1.05億人で、この層は2030年まで増え続け、最後は1.3億人へと増加するという。まさしくこれから成長を遂げるバングラデシュを目の当たりをしていることになる。


いくつかの町を行き過ぎると、風景はいかにも農村地帯になってきた。作業をしている人たちが見えたので運転手に指示し、車を農道に入れてもらう。農村が好きなスタッフ兼ガイドのアニスルが真っ先に車を降りてそちらへ向かった。アニスルに負けないくらい農村や地方が好きな私は慌ててあとを追いかける。

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「これ、何かわかる?」
立ち止まったアニスルが聞いてきた。近づいてじっくり見ていると、「麻だよ」とアニスルがあっさり答えを明かしてしまった。それを聞いて、バングラデシュの輸出品目にジュート製品があったのを思い出した。つまり黄麻だ。それが普通に植わっているなんて、"所変われば品変わる"ものだ。

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女性たちがトンボのような器具を持って敷き詰められたモミをすくっては動かしている。最初は秕(しいな)を飛ばしているのかと思ってアニスル経由で聞いたら、空気や日に当てて乾燥させているのだとか。それじゃ雨季で濡れたモミを乾かしているのかと思ったら、収穫⇒脱穀したコメを2、3日水にさらし、その後、一度茹でるのだという。それをこうして乾燥させ、精米し、最後は日本のように炊いて食すのだとか。バングラデシュは作期によってアウス米、アマン米、ボロ米に大別されるが、この時期に収穫しているのはアウス米だろうか。この品種は皮が厚くて一度茹でないとうまく精米できないのかもしれない。それを聞こうと思ったら、アニスルは休憩小屋に歩いて行ってしまった。これじゃ尻切れトンボだ。それにしてもやっぱり"所変われば"である。

女性たち+男性が一列に並んで集団でトンボを使い始めた。リズムが良いうえ、モミがこすれるサラサラした音が音楽のように心地よくて思わず動画を撮った。きっとこういうところから労働歌が生まれるのだろう。 こんな懐かしく感じる風景なのに、男性が携帯電話を使い始めるのがおもしろい(45秒頃)。バングラデシュでは色んな時代が一緒に流れているみたいだ。 撮影を終え、アニスルが談笑している休憩小屋に近づいた。収穫後の水田ような頭を指さし、ベンガル語で何か盛んに話しかけている。大口を開けて笑う女性、絶妙なタイミングで茶々をいれる男性、そしてみんなで大笑い。言葉は全くわからないが、楽しそうな雰囲気は十分伝わってくる。こういう風景を見ていると、国籍や文化は違ってもみんな同じ人間なんだなということがよくわかる。 「せっかくだから写真を撮りましょう。আস্সালামু আলাইকুম ধন্যবাদ… 撮影、お願いしますね」 アニスルが私を見て微笑んだ。 「おう、任しとけ! じゃ、行きまーす。ハイ、チーズ!」 ハイ、チーズは通用しないだろうが、他に思いつかないのだからしょうがない。

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マニクゴンジ県クッライ村の人たちはみんな見事に真顔だった。
「ドンノバーット!」(ありがとう!)
私は覚えたてのベンガル語を使いながら大きく手を振った。彼らにようやく笑顔が戻ってきた。

吉本:1746字