[The Daily Star]元首相でBNP議長のカレダ・ジア氏の死去は世界中のメディアで大きく報道され、主要な国際通信社は彼女の死を単にバングラデシュの政治指導者の喪失としてではなく、南アジア政治の決定的な時代の終わりとして伝えている。
ロイター通信とAP通信は、このニュースをいち早く世界に伝え、シェイク・ハシナ氏との何十年にもわたる対立が国の政治情勢を決定づけた「巨大な人物」だと評した。
AP通信は、ハシナ元首相と別の元首相との「激しいライバル関係は、一世代にわたる同国の政治を特徴づけた」と報じた。同様にロイター通信は、1991年にバングラデシュ初の女性首相となったカレダ氏が、ハシナ氏と「数十年にわたり権力を奪い合い」、ライバル関係を強めていったと報じた。
英国メディアは彼女の歴史的な功績に大きな注目を寄せた。BBCとガーディアン紙は、彼女が初めて女性指導者となったことを強調し、主婦から民主主義の熱心な運動家へと変貌を遂げた過程を記録した。
BBCは「カレダ・ジア:殺害された指導者の未亡人、バングラデシュ初代首相に」という見出しの記事を掲載し、ジア氏が1991年に同国で20年ぶりの民主選挙で所属政党を勝利に導き、首相に就任したことを報じた。ガーディアン紙はオンライン版で、「バングラデシュ初の女性首相カレダ・ジア氏、80歳で死去」と報じた。
英国のインディペンデント紙は、カレダ氏が政治的動機に基づく汚職事件に直面していたと報じた。ドイツの放送局ドイチェ・ヴェレは、1991年から1996年、そして2001年から2006年の在任期間中、カレダ氏は「バングラデシュ初の女性首相であり、イスラム世界では2人目の女性首相」だったと報じた。
アメリカでは、ニューヨーク・タイムズ紙が、カレダ・ジア氏と「対立する政治王朝の舵取りを担うもう一人の女性」との対立が、この若い南アジア国家の運命を形作ったと報じた。ワシントン・ポスト紙は訃報の見出しを「バングラデシュの元首相で前首相の宿敵だったカレダ・ジア氏が80歳で死去」とした。
CNNは、カレダ氏がバングラデシュ初の女性首相に選出されたと報じ、BNPが昨日声明を発表したと指摘した。ブルームバーグは、カレダ氏は「軍事政権の混乱期を経て民主主義の到来を促し、数十年にわたり同国の政治を支配した」と報じた。
中東では、アルジャジーラが1990年の反独裁運動における彼女の役割に焦点を当てた記事を掲載した。「バングラデシュ、元指導者カレダ・ジアを悼む」や「バングラデシュ初の女性首相カレダ・ジア:権力と抵抗の人生」といった記事に加え、長年にわたる法的闘争や健康問題への闘いを綴った死亡記事を掲載した。
タイムズ・オブ・インディア紙は複数の報道を掲載し、彼女の死はバングラデシュが重要な選挙を控えている微妙な時期に起きたこと、そして「息子のタリーク・ラーマンが長年の亡命生活を終えて帰国した数日後」に起きたことを指摘した。見出しの一つは「初の女性首相から激しい対立へ:バングラデシュ政治を再定義したカレダ・ジアの3期」だった。
ヒンドゥー紙は「カレダ・ジア:ベグムの帰還」や「ベグムとその政党間の激しい対立と復讐の過去」といった見出しのライブ更新と記事を掲載した。
インドの通信社プレス・トラスト・オブ・インディア(PTI)は、彼女を数十年にわたりバングラデシュの政治を支配した恐るべき人物と評した。
NDTVの「インドとの繋がりを持つバングラデシュ初の女性首相、カレダ・ジア」と題した報道は、彼女が力強い政治的遺産を残したと報じた。報道では、彼女が2009年以降、民主主義のために闘いを再開し、2011年にはニュージャージー州上院から「民主主義の闘士」として表彰されたことも紹介されている。
一方、パキスタンの主要日刊紙ドーン紙は、カレダ氏は長年の健康状態の悪化と投獄にもかかわらず、昨年の大規模な蜂起で最大のライバルであるハシナ首相が倒されて以来初の選挙となる2026年2月の選挙に向けて選挙活動を行うと昨年11月に誓ったと報じた。
ドーンは、BNPが有力候補と広く見られているとして、彼女が11月下旬に病院に緊急搬送され、医師らの最善の努力にもかかわらず、一連の健康問題により容態が悪化したと報じた。
日経アジアやアラブニュースなど他の国際メディアも、このベテラン指導者の死去を報じ、現代バングラデシュを形作った一章の終わりを告げた。
Bangladesh News/The Daily Star 20251231
https://www.thedailystar.net/news/bangladesh/news/towering-figure-south-asian-politics-4069741
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