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ほんの少し前まで、シシル ボイラジ(Shishir Boiragi)さんはすべてのことがうまくいっていた。3人家族が養えるだけの収入がある仕事に就いていたし、腎臓病を患う息子の治療もできた。
その夜、彼の世界がひっくり返った。
ホーリーアルチザンベーカリーのアシスタントシェフだったシシルさんは、7月1日の流血の包囲で生き残った。今はトラウマより、将来の心配が心を離れない。
「息子に何か起こるのではないだろうか? 彼の医療費をどう捻出していいか、私にはわかりません」
シシルさんはデイリースターに話した。
7歳の息子シャント君は、9ヶ月ほど前、腎臓に問題があると診断された。
ボンゴボンドゥ医科大学の医者はそのとき、シャント君が3年間適切な治療を受ければ、完全に治るでしょうと太鼓判を押したという。
シャント君の治療にはこれまで15万タカ(19万円)ほどかかった。
家族は治療のためだけに隔月で2万5千タカ(32310円)必要だ。
現在失業中のシシルさんは、主に外国人が22人殺害されたカフェ攻撃事件以前、2万5千タカほどの収入があった。
事件の夜、シシルさんは過激派によって、一晩中浴室内に閉じ込められた。過激派の一人が言ったという。「天国で会おう」と。
「よくわからないが、彼らは天国に行ったのでしょう、だけど彼らは私たちの生活を台無しにした」
シシルさんはボリシャル(Barishal)県アガイルジャラ(Agailjhara)の故郷で、魚の養殖という小さな仕事を持っていた。だが仕事は失敗に終わり、40万タカ(52万円)以上の借金を抱えてダッカにやってきた。
1年半前、縁があってホーリーレストランで仕事を見つけ、借金の返済を始めた。
シャント君の病気がわかったときも、仕事があったおかげで、新たなプレッシャーに耐えることができたとシシルさんはいう。
過激派によるカフェ襲撃事件から一ヶ月、シシルさんは再び路頭に迷うことになった。
今、シシルさんは歩道で歯ブラシを売っている。一日30~50本の歯ブラシが売れる。売り上げはわずか100(129円)~150タカ(194円)だ。
一日3食食べることすら難しくなってきた。息子の治療費など、考えることもできないとシシルさんはいう。
運命を変えた事件の後、シシルさんは仕事を探しに少なくとも100軒のレストランを訪ねた。だが景気が悪いと、どこも雇ってくれなかった。
特派員は昨日、バアトラにあるいとこと共有のトタン屋根の小屋を訪ねた。月に5500タカ(7108円)の家賃がかかるという。
彼の妻スミリティ ボイラジさんと息子のシャント君は、7月11日に健康診断を受けるため、村に帰っていた。数日前、ここに帰ってきたという。
スミリティさんはシシルさんが仕事を失って以来、よく眠れないという。
「知人たちは夫がよい仕事に就いたと知っていたため、息子が病院に行く前には快くお金を貸してくれました。だけど今はそんなことはありません」
7月1日夜のショッキングな経験の後、シシルさんの同僚たちはダッカを離れた。
だが土地を持たないシシルさんには行き場所がない。彼は状況がよくなることや、良い仕事に就けることを諦めてはいない。
人生を歩み続けるために、彼にはまだ大きな問題が横たわっている。
The Daily Star Aug 04 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/caf%C3%A9-attack-throws-him-street-1264279
翻訳:吉本
#バングラデシュ #ニュース #ホーリーアルチザン
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