夢が緑に

夢が緑に
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何十年か昔、チッタゴン(Chittagong)県ボアルカリ(Boalkhali)郡のジョイスタプラ(Joistapura)丘陵は、木を切り払われてハゲ山となった。だが今では豊かな緑に覆われる。この変化はある若者の素朴な夢によるものだ。16歳のモザメル ホック バクルさんは自分の庭を持ちたかった。

「ダキル[1]の試験を受ける数ヶ月前のことでした」
モザメルさんは1990年代後半を回想する。
「私は友達数人と丘を横切っていました。近道をしようと小さな農園を通りました。その農家は不法侵入した私たちを叱り、二度と農園に入るなと言いました。それはあの時あの場所では正しい事でした。それで私は自分の庭園を持とうと決めました」

10代にとって庭園を造るのは容易な事ではない。資金が不足している。地元民の多くはモザメルさんを嘲った。仲間はモザメルさんが時間を無駄にしていると考えた。だがモザメルさんは決めていた。

ボアルカリ郡スリプールカランドゥイプ(Sripur Kharandwip)ユニオンジョイスタプラ村に生まれたモザメルさんは、この地域ではよく知れていた。子ども時代から東に広がる広大な丘陵地帯を散策していた。地形図が大好きだった。

庭園を持つと決めた時、モザメルさんは利用できる平地がほとんどない事を知った。モザメルさんは丘陵地に広い土地を持つ母方の祖父に、庭園を造るための小さな土地を譲ってもらうよう頼んだ。祖父はこれを承諾し、およそ2エーカーの土地をモザメルさんにくれた。

だがモザメルさんには苗木を買う資金はない。家庭教師として働き始め、わずかばかりの収入を貯金していった。母親は息子のため、金のイヤリングを売った。

「3千タカ(3865円)貯まった時、チークとマホガニーの苗木を500本買い、植えるために庭師を何人か雇いました。木は成長しましたが、次の年にはまだ売れる状態ではありませんでした。その後数年間は親戚からお金を借り、少しずつ庭園を拡大していきました」

「それから数年後、生姜やレモン、マンゴー、ライチ、パパイヤなどの果物を育て始めました。これらは短い期間で定期収入につながりました。その収入で土地を買ったり借りたりして、庭園をさらに大きくしました。今、私の庭園は80エーカーあります」
モザメルさんは話す。

わずか500本から始まった庭園では、およそ10万本の木々が育った。1996年に3千タカを投資した所から始まり、現在は毎年100万タカ(129万円)以上を生み出す。およそ5万本植えられている木材用の木は数年後に伐採できるようになり、少なくとも1億タカ(1億2900万円)の売り上げが約束されている。

「夢は叶い、庭園を持てました。ですがまだ止めません。ジョイスタプラ丘陵にある泉で漁業プロジェクトを実施しようと考えています。私は今、牛の農場で仕事をしています」

彼の功績には多くの人々が感銘を受けた。かつてモザメルさんを嘲った地元の人々は、今や彼を称賛している。村の若者たちはモザメルさんに続いた。その結果丘陵には今日見られるような美しい緑の森林が復活した。

2013年と2014年、モザメルさんには植林の第一人者として賞が贈られた。

だがモザメルさんは謙虚だ。
「子供の頃、丘や木を愛したことが夢となりました。夢が人生の財産を与えてくれるなんて、不思議なことです」

The Daily Star Aug 22 2016
http://www.thedailystar.net/backpage/turning-deforested-hill-green-canopy-1273606
翻訳:長谷川
[1]マドラサ(神学校)で行われる試験で、通常の学校でいうSSC(中等学校資格証明:初等教育後に行われる認定試験)に相当

#バングラデシュ #ニュース #緑化