自然農法は農家に笑顔をもたらす

2000年頃は生き残るのがやっとだった農家のヘラル・ウディンさん。その後自然農法に取り組み、肥料や作物が売れるようになりました。今では7エーカーの土地を持ち、月に5万Tk稼ぎます。「もっとも大事なことは人々の健康」というヘラルさんを、Azibor・ラーマンがレポートします。


60歳のヘラル・ウディンは、カリガンジMahashwerchanda村の貧しい農家だった。2000年頃の彼は、自分の小さな土地で40ほど、借地では50~60の作物を細々と作り、生き残ることにとても苦労した。

しかし彼や村人が、村に農学者MA・ギュル・ホサイン博士を招いたことで変わり始めた。ホセインはミミズの力を借りて牛糞やバナナの木で自然肥料を作り、彼らが肥料を作れるよう訓練をした。
 
「村人は初めのうち、それを購入することに興味はありませんでした。だから私は自分の作物にそれを使い始めました」とヘラルは述べる。
 
しかしその方法が他の村人に人気が出るのに、長くはかからなかった。一方でNGOハンガー・フリー・ワールドが村の取り組みを知り、2003年に村へやってきた。そしてもっと多くの農家に自然肥料のやり方を訓練するようになった。 

「私はミミズ堆肥を他の農家に訓練するために雇われました」とヘラルは述べ、彼の専門知識が収入を増加させたと付け加えた。 

彼はその後事業を拡大し、大きな堆肥プラントを設置した。
 
自然農法の考えが広がり、いくつかの農民は、インドセンダンとマホガニーの木から抽出した果汁で、バイオ農薬「Balainashak」を作るという考えを思い付いた。 

「私たちは2010年までBalainashakを使いました。まだ使っている人もいますが、ほとんどの人がフェロモン剤を選択しました」と彼は述べた。
 
このようにMahashwerchanda村は、自然農法におけるマイルストーンとなっている。村の農家は、肥料と農薬のどちらも、有害な化学農薬の代わりに、自然なものに頼っている。

近隣の村の農家も彼らを追いかける。 

「近県の農家でさえ、私たちのところへミミズ堆肥を買いにやって来ます」と彼は述べた。 

十年ほどでヘラル・ウディンは7エーカーの土地を所有し、堆肥や野菜を販売した月収は5万Tkになる。

「私は勉強した自然農法を絶対あきらめなかった。もっとも重要なことは、すべてのうえに人々の健康があり、そのために土壌や環境を守るということです」と彼は語った。
 
彼が作り出す野菜は、ほとんどが地元で販売されている。ダッカからのビジネスマンも彼から野菜を買う。しかし時によっては彼の野菜は地元市場で売れ残ることもある。 

「もし自然栽培の野菜を販売する市場に取り決めがあれば、私たちの商品はより良い価格で販売することができました」と彼は付け加えた。