金曜日午前1時30分。独身ビジネスマン、アシュラフ(仮名)は友人と過ごしたウッタラからダンモディの家へ帰るところだった。マイメンシン道路は空いていた。30歳をいくらか超えたアシュラフは白いトヨタをハイスピードで走らせる衝動を抑えきれなかった。
若い二人の男を乗せた黒いマツダが追い抜いたとき、アシュラフはラディソンホテルを横切っていた。
頭の中で血が煮えたぎった。アクセルを思い切り踏み込み、トヨダはスピードを上げた。数秒後、スピードが120キロに達し、黒いマツダアテンザに追いついた。2台はバナニ高架道路に近づいていった。
すべては数秒以内に起こった。マツダの運転手とアシュラフの目に、普通のスピードで走るトラックが飛び込んできた。マツダはトラックを追い越そうと減速することなく、中央車線からサイド車線へ動いた。そのまま制御できなくなり、スピードを落とすことなく、いろんなものにぶつかった。車はカメ(が甲羅に頭を入れたよう)になって歩道へ突っ込んだ。
アシュラフはそれを目撃したが、彼もまた制御不能に陥っていた。車は高架道路の下をさらに進み、全力で何かにぶつかった。フロント部分はやっぱりカメになったように破壊されつくした。
アシュラフはシートベルトをしていなかった。体が事故の衝撃を吸収した。手を動かすことはできたが、足は麻痺していた。外へ出ようとしたが、車はひしゃげ、そうすることはできなかった。
運がいいことに別の車がそばを通りかかった。紳士と運転手はネトラコナ(Netrakona)から長距離ドライブをして帰宅するところだった。紳士は壊れた車とアシュラフが外に出ようとしていることに気付いた。そしてアシュラフを救助するため車に近づいた。
紳士が窓に近づいたとき、「助けてください、車から出してください」というアシュラフのささやくような声が聞こえた。
紳士と運転手はアシュラフを車の外へ引っ張りだした。一見無傷のように見えたが、足を動かすことができなかった。
「近くの病院まで連れていってもらえませんか」
アシュラフは頼んだ。
二人はアシュラフを連合病院へ連れて行った。紳士は携帯電話のコールリストをチェックし、最後に電話をかけたひとに連絡した。それは彼の友人の一人だった。紳士は友人にアシュラフが事故を起こしたというニュースを伝えた。
朝までにアシュラフの親戚や友人が病院に集まった。医師はX線検査やその他の検査に基づいた結果を伝えるため、保護者を探した。
アシュラフの友人が医者の言ったことを私に教えてくれた。
「状態はかなり深刻です。背骨が折れています。背骨にある重大な静脈の一つが危険な状況です。そのため下半身へ流れる血液がほぼ止まっています。緊急手術が必要です。さもなければ一生麻痺は残ったままでしょう」
「手術が成功したとしても、回復するまでには数ヶ月かかるだろう」と医者は指摘したという。
アシュラフはこのような事例を扱うことに特化した外傷センターに移された。医者たちは8本のネジで鉄板を背骨に固定する手術を行った。
アシュラフは今、話すことや、友人たちとトラウマを共有することができる。残念ながらまだ足を動かすことはできない。だが医者は回復後も定期的に治療を受ければ、1年以内に歩くことができるだろうと請け負った。だがこれまでと全く同じようには歩けない。
アシュラフの友人たちはあとで白いトヨタの状態をチェックした。彼らは黒いマツダに乗っていた2人は車が無茶苦茶になったにも関わらず、ほとんど怪我がなかったということを警察から聞いた。トヨタとマツダは今、別々の警察署に保管されている。
11月25日のBanglanews24.comレポートによると、マツダの2人は事故直後、アポロ病院に連れて行かれたという。2人はナキブとアミルという20代の若者だった。事故は市の美化作業に従事している公務員によって通報された。
アシュラフの話は他人事ではない。市街地の道路のような場所では時々思いがけない真夜中のレースが起こることがある。車線変更が大好きな"秘密"のレーシングコミュニティがある。彼らはアドレナリンを出しながら運転する。
レースをしても何も起こらないこともあるし、重傷を負ったり、死に至ることもある。だが忙しい住人は朝になると同じような通りを見て、あるいは昨晩起こった大騒動をきれいさっぱり忘れている。
バングラデシュ/The Daily Star Nov 30 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/death-race-dhaka-streets-1322680
翻訳:吉本
#バングラデシュ #ニュース #事故
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