一世紀以上栽培されてきたグアバは、ボリシャル管区ピロジプール(Pirojpur)県の人々のアイデンティティの一部だ。グアバがやってきたときの物語すら存在する。
だが実際のグアバ栽培は魅力がなくなった。多くの果樹農家は利益を生み出すアムラ(トウダイグサ科の果樹)やホグプラムを好んで栽培するようになった。
約125年前、ピロジプール県ネサラバド(Nesarabad)郡アトガール クリヤナ(Atgar Kuriyana)ユニオンバドランコ(Bhadranko)村のプルノ(Purno)モンダルという男が、インドビハール州の仏教の聖地ガヤへ巡礼に出発した。
モンダルはガヤでグアバの種をいくつか集め、戻ると庭にまいた。隣人たちはそのおいしい果物を味わった。そうして隣接する村や、遠くジャラカティ(Jhalakathi)村でもグアバが植えられるようになった。
グアバはモンダルの栄誉をたたえてプルノ モンダル グアバ、あるいはネサラバド郡のかつての名前スワルプカティ(Swarupkathi)グアバと呼ばれる。
実はグアバはメキシコや中央アメリカ原産で、カリブ海の島々でもよく栽培されている。
"guava"という単語はカリブ出身のアメリカ先住民、アラワク族の言語に由来する。彼らはグアバの木を"guayabo"と呼び、その後スペイン語の"guayaba"になり、そこから世界中に様々な形で広がった。
興味深いことにグアバのバングラデシュで名"peyara"も、スペイン語やポルトガル語に由来する。西洋ナシを意味するスペイン語やポルトガル語の"pera"の派生語は、インド洋地域ではグアバを意味する名前になっている。
The Daily Star June 17 2016
http://www.thedailystar.net/country/will-pirojpurs-guava-heritage-stand-the-test-time-1241038
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