血、衝撃、恐怖(中)

サンダーボルト作戦

 作戦の計画は昨日午前3時以降に、首相と3つの省庁の大臣、様々な法執行機関の幹部によるゴノ ボボン(Gono Bhaban)での会談でまとめられた、と首相官邸で情報筋は語っ た。

「我々はテロリストから人質を救う方法について、ゴノ ボボンで計画を練った」とハシナ首相はある番組で昨日の朝に語った。

軍の落下傘奇襲部隊がダッカとシャバールの野営地からの部隊とともにシレットから呼ばれた、とハシナ首相は言った。

午前5時頃、軍の奇襲部隊、海軍、警察、国境警備隊(BGB)、緊急行動部隊(Rab)と警察特殊部隊スワットが作戦を開始する準備をした。

装甲車に支援された重武装部隊が午前7時40分に建物に突入したとき、発砲と爆発がその地域を揺り動かした。

9台の装甲兵員輸送車(APCs)が現場に投入された。それらの2台が壁を突破し、レストランの敷地内に入った。軍の高速艇は、レストランに隣接したグルシャン湖上で巡回していた。

軍事作戦総局の指揮官であるブリグ ジェン ナイーム アシュファク チョードリ氏は記者会見で「バングラデシュ軍の落下傘奇襲部隊により先導された奇襲作戦は午前7時40時に開始し、すべてのテロリストを排除して対象地域の制御を確立するのに、12、13分を要した」と言った。

「人質の危機的状況を終わらせるために軍に介入するよう首相が命じ、"サンダーボルト作戦"というコードネームで呼ばれる作戦が開始された。作戦は午後8時30分に無事に終了した」とナイーム氏は言った。

「救出された13人の人質の中に、2人のスリランカ人と1人の日本人がいた。6人のテロリストが殺害され、襲撃者と疑われる1人が逮捕された」とナイーム氏は付け加えた。

「作戦後の捜索時には、20人の遺体を回収した。彼らは金曜日の夜に殺害された。ほとんどの犠牲者は、鋭利な武器で残酷に殺害された」とナイーム氏は述べた。

ナイーム氏は8分の記者会見で「故人の解剖は、既存の様式に従い統合軍病院(Combined Military Hospital(CMH))で実施される」と述べた。

詳細と故人の身元確認のために、人々はホットライン +88-0176-9012524によりバングラデシュ軍の憲兵に連絡するように言われた。

「テロリストにより使用されたピストル、台尻が折り畳まれたAK 22ライフル、簡易爆発物(IED)、トランシーバー一式とたくさんの地元製の鋭利な武器が現場から回収された」とナイーム氏は言った。

ナイーム氏は、首相の時宜を得た断固とした大胆な意思決定に対して感謝した。

午後3時20分に発行されたプレスリリースで統合広報(ISPR)は、20人の故人すべてが外国人だったと述べた。

しかし、午後7時45分に発行された別のISPRのプレスリリースは「20人の犠牲者の国籍はまだ確認されていない。彼らの身元を確認中だ」と述べた。

ナイーム氏は13人の人質が救出されたと述べたが、DBの幹部は「"救出された27人"は、ミント通りのDB事務所に運ばれた」とデイリースターに語った。

「彼らのほとんどは、闘争とつながりがあるかどうかを検証された後に帰ることを許された。残りは順番に"解放"されていた」とその関係者は昨日午後10時30分頃に述べた。

その27人全員が救出された人質だったかどうか尋ねられ、その幹部は「はい」と答えた。 

The Daily Star July 03 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/dhaka-attack/blood-shock-horror-1249471