血、衝撃、恐怖(後)

犠牲者

「イタリア人9人、日本人7人、バングラデシュ人2人、バングラデシュ系アメリカ人1人とインド人1人が亡くなった。11人が男性で9人が女性だ。彼らの遺体は、CMHの遺体安置所に保管されている」とISPRは述べた。

イタリア外務省のウェブサイトはダッカの襲撃で殺されたイタリア国民は、アデレ プグリシ(Adele Puglisi)さん、マルコ トンダット(Tondat)さん、クラウディア マリア デ ントナ(Claudia Maria D'Antona)さん、ナディア ベネデッティ(Nadia Benedetti)さん、ビセンゾ ダレストロ(Vincenzo D'allestro)さん、マリア リボリ(Maria Rivoli)さん、クリスチャ ン ロッシ(Cristian Rossi)さん、クラウディオ カッペリ(Claudio Cappelli)さんとシモナ モンティ(Simona Monti)さんと伝えた。

ダッカで家を購入しているステューディオテクス(Studiotex)の専務取締役であるナディア ベネデッティさんは、5人のイタリアからの依頼人と夕食をとりに行き、金曜日の夜から行方不明のままだ、とその会社の総務責任者であるモノホール コラヤ(Monohor Corraya)さんは語った。

日本は亡くなった人質の中に7人の日本人がいたことを確認した。

菅義偉官房長官は昨夜遅くに東京での記者会見で、男性5人、女性2人の7人の日本人がダッカでの包囲攻撃で殺害されたことを正式に発表した。

官房長官は「政府はまだ生存者の家族の同意を得られていない」と言って、彼らの名前を公表することを断った。

菅義偉官房長官は昨日午後9時40時頃、日本大使館職員がついに7人の身元を確認したと述べた。彼らはJICAのプロジェクトに携わっていた民間企業に勤務していた。

日本も情報収集活動を強化するために、ダッカに国際テロ情報収集ユニットのメンバーを派遣することを決定した。

「テロ行為は、いかなる理由でも正当化することはできない。日本政府はテロと戦うために、国際社会と協力して行動する。我々はダッカへ国際テロ情報収集ユニットのメンバーを派遣することにした」と日本の岸田文雄外務大臣は昨日の朝、東京での臨時記者会見で語った。

亡くなった2人のバングラデシュ人は、米国ジョージア州のエモリー大学の学部学生である20歳のファラーズ(Faraaz)アヤーズ(Ayaaz)ホサインさんと、ZXY国際FZCOの人事部長でダッカのアジアクリエイティブ研究所の芸術プロヴォケィターでもあるイシュラット(Ishrat) アクォンド(Akhond)さんだ。

バングラデシュ系アメリカ人の犠牲者は、エモリー大学オックスフォードカレッジの学生であるアビンタ(Abinta)カビールさんだ。

アビンタさんは、フロリダ州マイアミから家族や友人を訪ねるためにバングラデシュに滞在していた、とジェームズ・ワグナー学長が声明で述べたとAFPが報じている。

インド国民で、米国カリフォルニア大学バークレー校の学生である18歳のタリシ(Tarishi)ジャインさんは、休暇でダッカに来ていた、とインド外務省の情報筋は言った。

一方、武装集団による襲撃で負傷した人々のうちの3人は、昨日晩まで危険な状態にあった、と病院の関係者は語った。

頭や顔、足に破片を受けた警察官スジャン(Sujan)クマル(Kumar)さんと、胸の下に銃弾による傷を負ったレストランのウェイターであるザキウル(Zakiur)さんは、ユナイテッド病院のICUで治療を受けていた。

「彼らは出血多量だった」とユナイテッド病院の通信事業開発の責任者であるシャグファ(Shagufa)アンワルさんは、昨日デイリースターに語った。

3人目のラザク(Razzak)という名前の運転手は、ダッカ医科大学病院(DMCH)に収容された。

23人の負傷した警察官はユナイテッド病院に、他の2人はDMCHに収容された。

襲撃者

警察の監察長官(IGP)であるAKM シャヒドゥル ホック氏は、襲撃者全員がバングラデシュ国民だったと述べた。

ホック氏は亡くなった2人の警察官の葬儀の祈り(namaz-e-janaza)に出席した後、「6人のうち5人は確かに過激派であり、警察は以前から彼らを逮捕しようとしていた」とラジャルバグ(Rajarbagh)の警察の非常線で記者団に語った。

「我々は国の様々な場所で彼らを捜索していたが、今、彼らはここで殺害された」とIGPは付け加えた。

警察本部は昨夜、武装集団の5人の名前を彼らの死体の写真とともに発表した。彼らの名前は、アカシュ(Akash)、ビカシュ(Bikash)、ドン、バドホン(Badhon)、そしてリポンだ。

しかし警察は、襲撃者についての詳細や彼らの動機を言わなかった。

当局者は、武装集団が任務中にニックネームを使用し、リポンが彼らの中心人物だとだけ述べた。

"適切な準備"なし

過激派と疑われる人物によって国中で実行された一連の標的を定めた殺害の真っただ中で、その襲撃は起こった。

過激派と疑われる人物は過去2年ほどかけて、シーア派、イスラム神秘主義者、キリスト教徒とヒンズー教徒を含め、大学教授、作家、出版者、世俗的なブロガー、ゲイの権利活動家、外国人、警察官や宗教的少数派のメンバーを襲撃し殺害した。

報告によれば、イスラム国がそのような多くの殺害の犯行声明を出した。政府は6月中旬から一週間にわたる過激派の取り締まりを行い、194人の過激派と疑われる人々を含む約13,000人を逮捕した。

以前の標的を定めた殺害と同様に、犠牲者のほとんどが鋭い武器で虐殺されたので、グルシャンでの殺害は本質的に残忍だった。

セキュリティアナリストであるブリグ ジェン レトド(Retd)M サカワト(Sakhawat)ホサイン氏は、諜報機関は様々な他の任務で「過度な負担をかけられて」いて、何か大きなことが起こるとはほとんど気付いていなかったと述べた。「...我々は適切に準備をすることができなかった。

我々は適切にその部隊を指揮することができなかった」とホサイン氏はデイリースターに語った。

The Daily Star July 03 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/dhaka-attack/blood-shock-horror-1249471