日本人の反応

日本にいる多くの人は同じ質問をする。普通の人をどうやって、野蛮な暴力を振るう人物に変えていくのか。ダッカ(Dhaka)の日本人7人殺害に関する詳細が明らかになるにつれ、犯人たちが行った拷問や殺害のやり方が、これまで歴史の教科書で見たこともないもっとも野蛮な行為に匹敵することがますます明らかになってきた。不幸にも犠牲となった人々は、このレストランで最後の晩餐を取ることになった。

拷問され、殺害された人々の中には18歳になったばかりのバングラデシュ人少女や、ダッカの混沌とした輸送問題を解決するミッションを背負った80歳の日本人男性がいた。2人がお互い似たような死に方になったことで、日本とバングラデシュの友好関係の象徴はさらに強調された。

想像してみてほしい。おそらく普通の家庭で育つ男子が、残酷に切り付ける方法を家で練習している所を。彼の両親はどう反応するだろうか。ヒジャブを身に付けた母親が、拷問殺人術をさらに上達してもらおうと"素晴らしいわ"と励ますだろうか。父親は息子が突然家族の誰より敬虔になったことを誇りに思い、異教徒を駆逐する技術をさらに磨けるよう、エリート学校に入れると伝えるだろうか。あるいは困惑のあまり、息子に精神科の治療を受けさせようとするだろうか。

多くの日本人は"聖戦士"たちがあのような残忍な手段をとることについて、最初の2つの見解が正しいと考えるようになった。家庭で過激主義の最初の種が植えられ、育てられるありさまが明らかに見てとれるのだ。

日本はいまだに深くショックを受けている。同時にバングラデシュという名前は不安と共に多くの日本人に知れ渡った。ここ数日、日本人数名や日本在住のイタリア人に接触し、この事件をどう見て、どんな結果になると思うかという質問をしてみた。以下、いくつかの回答を掲載する。
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堀口松城さんは2006年から3年間、バングラデシュ大使を務めていた。現在、各分野の日本人による有志組織ジャパンバングラデシュソサエティの会長であり、日本とバングラデシュ両国の相互理解に努めている。

堀口さんがこの事件で最も悲しかったのは、バングラデシュを支援するために進んでバングラデシュに向かった人たちが、残酷に殺害されたことだという。

彼らは誠実に働き、その小さな貢献が両国の友好関係をさらに固めるはずだった。歴史や文化の知識がない、国家間に相互の信頼関係を築くには長い時間がかかるという事すらわかっていない、バングラデシュの狂信的な若者グループが実行した野蛮で良識のない行為で、誠実さや良い意向は押し流されてしまった。

だが堀口さんは時間の経過により回復プロセスが定着し、関係が元に戻ることを望む。普通の日本人が持っている、バングラデシュは危険な場所だという認識を変化させることが困難であると堀口さんは気づいている。

元に戻るためには、バングラデシュをよく知る人たちの長期の継続した努力で為し遂げられる。多数のバングラデシュ人たちは心の中で、日本の事を身近に感じていると堀口さんは確信していた。
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フナコシ・サヤカさんは東京で働いているPRの専門家だ。フナコシさんはバングラデシュに行ったことがないものの、ロンドンで過ごした大学生時代からバングラデシュの事は良く知っているという。以下はフナコシさんの返信だ。

「私には理解できていないことがあります。どうしてこの類の悲劇は人類史の中で繰り返され続けるのでしょうか。世界のどこでも起こっているように見えます。実際近年では、この過程がまれに起こるのではなく、むしろ速められています」

「私はバングラデシュに行ったことはありませんが、日本からそう遠くない親日国として知られるバングラデシュの事件はとても衝撃的でした。私はずっと外国企業にいて、現在は外国の広告代理店でアメリカやイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、スウェーデン、フィリピン出身の沢山の外国人たちと一緒に働いています」

「新しい発見やワクワクするアイデア、コラボレーションが毎日山のようにあり、このような国際的な雰囲気の中で働くことをとても楽しんでいます。しかし私たちの間にある違いを理解し、受け入れるには時間がかかりました。それぞれの人には様々な社会的背景、文化、宗教、言語や地理的環境があります」

「1990年代、大学生として英国にいた時、初めは外国人たちと意思疎通することが困難でした。その後、それは言語力の問題ではなく、日本で生まれ、人生の大部分を日本で過ごした私が、国外で何が起こっているか知らなかったからだと気づきました。英国や国際的な職場での経験を通して、解決方法にたどり着きました」

「それは単純なことでした。他の人たちやその文化を受け入れ"尊敬する"こと、違いを一方的に押し付けたり拒絶しない事です。ダッカの襲撃事件を起こしたテロリストたちの多くは裕福な家庭の出身で、十分な教育を受けていたと知りました。バングラデシュ当局は現在、彼らがどうしてテロリズムを選んだのか捜査しています」

「もしも彼らが目の前にいる人たちへ尊敬の心をほんのわずかに、ひと欠片でも持っていれば、その人生は健全なものとなっていたでしょう」
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ステファノ・キャリアーさんは東京を拠点とするイタリア人ジャーナリストであり、イタリアで最も有名なテレビ局の1つイルソーレ24の仕事をしている。日本に駐在するイタリア人として、ダッカの事件は二重に衝撃的だった。
明らかにバングラデシュ人にとって親しいはずのイタリアと日本がはなぜ、恐ろしい殺人者たちによって明確な標的にされたのか、ステファノさんは悩んでいる。

イタリア人はバングラデシュ人駐在員に対して非常に友好的であり、必要書類を持たないバングラデシュ人が警察の手入れから逃れる手伝いをしていたというケースが何件もある。一方でバングラデシュ人はイタリア人駐在員が信頼できる仕事熱心な駐在員であることを知っていた。これは日本にとっても同じことだとステファノさんは考える。あのような残忍な行為のニュースは、その信用や信頼を粉砕してしまう。

この襲撃は、経済成長への旅路を歩み始めたバングラデシュを押しとどめようとする計画的な行動だとステファノ氏は考える。イタリア人も多くの日本人と同様、多くの途上国が貧困という足かせを壊そうと、必死に努力している姿を見るのが嬉しかった。そして今、別の側面を目の当たりにすることになった。

ダッカのテロリストたちの背後には、文明の衝突が既に発生していることを証明したい国際的なテロリストネットワークがあるとステファノ氏は推測する。
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ニイイ・アイさんはラジオ日本の前局長であり、現在は沖縄に住んでいる。ニイイさんからは以下のような返事が返ってきた。
「沢山のバングラデシュ人と仕事をしていたので、彼らが本当に親切で控えめだと知っています。またムスリム(イスラム教徒)の友人も多くいるので、彼らは皆優しくて普通の人々だと知っています。だからバングラデシュでこんな極端で野蛮な残酷行為が起こった事実に唖然としました」

「性急な教義を持つ過激派が宗教の象徴となるのを防ぐため、ムスリムを筆頭とした普通のバングラデシュ人が必要な手段を取ってくれることを願っています。日本とバングラデシュは、双方の数えきれない人々の努力により、友好の懸け橋を築いてきました。壊された架け橋を復興させるのがより大変だとはわかっています。ですが私たちは思慮のない過激行為には負けないと信じています。」
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オオハシ・マサアキさんは長い間バングラデシュと付き合ってきた"バングラデシュの友人"だ。オオハシさんはバングラデシュがパキスタン軍と闘って自由を勝ち取った直後、初めてバングラデシュを訪れた。それからの付き合いで、バングラデシュが自立へと向かうゆっくりとした旅路を直接見ることができた。
現在オオハシさんは聖心大学で教授を務めながら、国際発展のために働く日本の非政府組織(NGO)連盟の活動に積極的に関わっている。

オオハシ教授はこの事件により、民間部門の投資で経済成長に関わってきた日本の存在が、縮小していくだろうと考える。長期的に見れば、情勢回復すれば日本人はバングラデシュに戻るかもしれない。オオハシ教授はそのプロセスを加速させるため、バングラデシュ政府は、多くの日本人の間に広がる不安を和らげる、必要な手段を取っていくべきだと考える。

オオハシ教授はまた、一般の日本人がバングラデシュはアフガニスタンやイラクよりも安全ではない国だと考えるようになれば、より深刻な結果に繋がると懸念する。

だが過去45年間にわたり2国間に築かれた友好関係という遺産は、時勢に合ったダメージコントロールを実施し、日本からの信頼を回復する多くの機会を提供するはずだ。オオハシ教授は2国の市民集団や政府がその目標に向け、今動き始めるべきだと考える。

Prothom Alo July 08 2016
http://en.prothom-alo.com/opinion/news/111203/Japan-people-respond-to-barbaric-act
翻訳:ハセガワ

#バングラデシュ #ニュース #ダッカ人質事件