若者はどこへ消えたのか

若者はどこへ消えたのか
[3879字]

ここ1年半行方をくらませている人々の素性は様々だ。警察官や実業家、元公務員、元軍人、元学校教師、会社員、石工、衣料品業、家族もまた職業同様に多様だ。

国内外の有名大学で学んだ人もいれば、マドラサ(神学校)で学んだ人もいる。何人かはカレッジ段階の学業を終え、学校を中退した人もいる。

技師や医者というもっとも人気の高い職業についていた専門家もいる。歌手と、ロックバンドのギタリストという文化面で活動する人もいた。訓練されたパイロットも。

デイリースターは20件以上の行方不明事件調査、緊急行動隊(RAB)が火曜夜に公開した行方不明者262人のリストの再調査から、この行方不明者リストを作った。

行方不明者たちが今どこで何をしているかわからないにしても、一部は間違いなく過激思想を植え付けられ、独自に解釈されたイスラム教の名の下、罪のない人々を殺害する"殺人マシーン"へと作り替えられてしまった。これはグルシャン(Gulshan)やショラキア(Sholakia)の襲撃事件を見れば明らかだ。

何人が実際テロリストになったかを言い当てるのは難しい。行方不明者の多くは家族の事情や個人的な理由で、バングラデシュを離れていると思われるからだ。RAB職員はいう。

警察本部は行方不明者のうち、100人程度は過激派と関連があると疑う。

行方不明者の一部は最初、マレーシアに飛んだと考えられている。そこからトルコに向かい、謎の失踪を遂げた。捜査官はその人たちは現在シリアにいると疑う。シリアではかなりの領域がテロリスト集団イスラミックステート(IS)によって支配されている。

デイリースターの調査では少なくとも6件の行方不明事件で、マレーシアが関連していると判明した。

グルシャン襲撃犯の2人ニブラス イスラム容疑者とローアン イムティアズ容疑者、そしてニブラス容疑者の親友であるトーシフ ホサインさんはモナシュ大学で高等教育を受けるためマレーシアに向かった。彼らは全員故郷に戻ったあと、姿をくらました。

ある名門私立大学の学生ジュヌン シクデルさん、海洋工学者のナジブッラー アンサリさん、民間に勤めるモハマド バシャルッザマンさんの3人もマレーシアに向かってから消息を絶っている。

彼らは裕福な家庭の出であり、有名な学校やカレッジで学んでいる。

ダッカ(Dhaka)にある政府病院の小児科医ロコヌッディン コンドケルさん一家5人は、昨年1月、親戚にマレーシアや他の国に行くと伝えてバングラデシュを離れた。

一家はまだバングラデシュに戻ってきておらず、警察は一家全員が過激化され、現在シリアにいるのではないかと疑う。

7月1日ダッカで発生したISが犯行を主張する(政府は主張を否定している)襲撃事件の直後、3人のバングラデシュ人グループが映像で確認された。映像ではテロリストによる最悪の襲撃と、国内初の人質事件を祝っている。

12時間に及ぶ立てこもりの果て、テロリストは外国人17人を含む20人の人質と2人の警察官を殺害した。

アメリカに拠点を置き、ジハード(聖戦)活動家を監視するサイトインテリジェンスによると、この映像はISが支配し、ISが首都と称するシリアのラッカから公開されたものだという。

最初に映像に登場した人物は、友人やソーシャルメディアの利用者により、即座にターミド ラーマン サフィさんだと判明した。

歌手のターミドさんは、元内務官で選挙管理委員だった父親を持つ。ターミドさんは昨年の4月23日、"新婚旅行"に行くと告げてバングラデシュを離れ、マレーシアへ向かった。だがターミドさんが飛行機チケットを買うとき利用した旅行代理店は両親に対し、シリアへの玄関口トルコへ向かったと話した。

放送局は映像の残り2人を、ダッカ大学経営研究所(IBA)学生のトーシフ ホサインさんと、歯科医のアラファト ホサインさんであると特定した。

RABのリストによると、彼の父親は故アク アザド少佐だ。

以前にもバングラデシュの若者が、シリアの戦場で死亡したと伝えられている。アシェクル ラーマンさんは2009年に発生したバングラデシュライフルズ(国境警備隊の以前の呼称)の反乱で死亡した陸軍大佐の息子だ。

アシェクルさんはIS機関紙"ダービク"で、アブ ジャンダル アル バンガレーという名前を付けられていた。

RABリストにはこの若者であると考えれられるジラニ(別名アブ ジダル)という名前を載せている。


[行方不明事件]

グルシャンにある高級レストラン"ホーリーアルチザンベーカリー"や、キショルガンジ(Kishoreganj)県のショラキア集会場で発生したテロリストによる襲撃事件で、警察が襲撃者の写真を公開したことで行方不明者の問題が顕在化した。

2つの襲撃事件を実行した犯人の大部分は襲撃の数ヶ月前から行方不明だった。この後、警察は行方不明者の捜索態勢を強化した。
取り組みの一環として、RABは行方不明者262人のリストを公開した。このうち52人はダッカから行方をくらませている。

126人は今年姿を消した。リストでは165人の年齢が記載され、このうち112人は21歳から30歳までの若者だ。

保護者も動いた。息子が行方をくらませた後、助けを求めて警察に届けを出した。各警察署に170もの届け出があったという。

保護者の中には再三の要請にもかかわらず、警察は息子探しを手伝ってくれなかったと訴える人もいる。

「警察は息子が自殺したかもしれないと言いました」
ラウシャン アリ カーンさんはいう。息子のマームドゥル ハサン ラトゥルさん(23)は昨年7月19日、姿を消した。

「警察に息子の遺体がどこにあるか尋ねました。警察は全ての遺体が見つかるわけではないと言いました」
カーンさんはある民放テレビ局に話した。

RABリストによると、ラトゥルさんはダッカのノートルダムカレッジでHSC[1]を受けた後、民間航空庁から航空学の訓練を受けたという。

ラトゥルさんが消息を絶って2日後、カーンさんはアバダール警察署に届けを出した。

アーメド アズワド イムティアズ タルクデルさんは退役少佐カビル アーメド タルクデルさんの息子で、今年の2月29日、行方不明になった。

アフィフ マンシフ チョウドリーさんは退役少佐アブドゥル マンナン チョウドリーさんの息子で、3月1日に行方不明となったが、5月22日にバングラデシュに戻ってきたという。リストには女性は1人も掲載されていない。

シャミム レドワンさんも同様に退役少佐カビル博士の息子で、3ヶ月間の消息不明の後、5月最終週に戻ってきた。

サッジャド ラウフさんはアメリカのパスポートを持つ。サッジャドさんはノースサウス大学の経営学修士であり、2月3日に姿を消した。父親のトウヒド ラウフさんは3日後、バタラ警察署に届け出た。

マヒドゥル イスラムさん(17)はクシュティア(Kushtia)県のマドラサの生徒で、昨年4月2日から行方不明だ。ダッカで衣料品製造に従事していたモスタファ カマルさん(26)は6月6日、行方不明になった。

RABリストによると、両者の家族は届け出ているという。

特派員によると、RABリストで国内に戻ってきたことが確認された3人に加え、他の16人も帰国したか、家族に連絡を入れたという。

ここ2、3年言われていることだが、国内の数十家族が届け出か記者会見で、警察が自分たちの縁者を逮捕したと訴えてきた。警察はこの主張を一貫して否定している。


[全員は過激派に関与していない]

これらの人々が行方をくらませた背景には、様々な理由があると考えられる。RABのマームード カーン報道官がBBCバングラサービスに話した。

家族内の衝突でバングラデシュを離れた人、金銭的な問題で行方をくらませた人、口論の末に自発的に姿を消した人さえいるとカーン氏は説明する。

「ですから、行方不明者全員が過激主義に直接関与しているとは言えません。私たちもそう言い張るつもりはありません」


[なぜ過激派になるのか]

精神科医のムンタシル マルフ氏によると、家族や社会のつながりが弱まっていることが若者が過激化する大きな原因の一つであるという。

「家族や社会は概して、子どもに何が正しく、何が間違っているかの教育を行っていません。その結果子どもたちに、容易に何でもさせることができるようになるのです」
ムンタシル氏はデイリースターに話した。

子どもたちにドラッグを使わせたり、過激思想を信奉させることは容易にできるとムンタシル氏は言う。彼はシラジゴンジ(Sirajganj)県シャヒード M マンスール アリ医科カレッジで精神科の助教授を務めている。

ムンタシル氏は教育制度に言及した。教育施設の課外活動や文化活動不足が退屈を招き、生徒たちが新しいものを求めるようになるのだという。

一部の者たちはこの状況を利用し、誰かに否定的な思想を植え付ける可能性があるとムンタシル氏は話した。

The Daily Star July 21 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/murky-road-radicalisation-1256950

[1] Higher Secondary School Certificate:高等教育を2年間受け、修了したものが受験できる。合格すると大学入試資格が取得できる。
翻訳:ハセガワ

#バングラデシュ #ニュース #行方不明 #襲撃事件