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マティヤ ラーマンの両親は、彼が2つのとき離婚した。シングルマザーで生活が苦しくなり、彼はクラス3を終える前に学校を中退した。
母親は彼と一緒に実家を出て、兄弟のもとへ引っ越した。その後彼のおばのいるガジプールGazipurへ引っ越した。
どこにも彼と母親の居場所はなかった。クルナ管区シャトキラSatkhira 県タラTala郡オマルプール村の実家の隣人はいう。
24歳になった彼は、火曜日のコッランプールの銃撃戦で死んだ9人の1人として、一躍メディアで有名になった。
ここ数ヶ月、彼は家族の誰かと少しだけ接触したと親戚はいう。
離婚後、マティアの母親カイルネッサは、彼を連れてタラ郡の実家に引っ越した。彼が12歳になるまで、母親の3人の兄弟とそこで暮らした。
カイルネッサと彼は縫製工場で働くため、ダッカに引っ越した。マティアの父親ナシル ウディン ガジはいう。
カイルネッサは仕事のため、2ヶ月前にサウジアラビアに旅立った。兄弟たちは事件後、彼女と連絡が取れないという。
1年半前、マティアは母親と連絡を取ることをやめた。叔父のアブダスサッタルはいう。
同じ頃、彼は父親の所へ行き、5ヶ月間一緒に暮らした。その間日雇い労働者として村で働いた。昨年6月30日、彼はダッカで仕事を見つけたから、そこで落ち着くつもりたと言って村を去っていったと父親はいう。
漁師である父親のナシルは、結婚と離婚を5回ずつ繰り返した。 マティアはナシルが最初の結婚のときできた、最初の子どもだった。
マティアは有権者でしたが、選挙のため、一度も村に帰ってきたことはないとナシルはいう。
父親はマティアが〝ストーム26作戦〟で殺された過激派の一人だと知って、気が遠くなりそうなくらいものすごいショックを受けた。
ナシルの隣人ラフィクル イスラムは、彼が父親の家に住んでいたとき、髭を蓄え、ほとんどの時間静かに過ごしていたという。
「一ヶ月ほど前、セータの工場で働き、ガジプールの叔母の家で暮らしていると、マティアが電話してきました」
父親はいう。
シャトキラ県警のアルタフ ホサイン本部長は記者団に対し、県警はマティア容疑者の犯罪歴は持っていないと話した。
The Daily Star July 29 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/motiar-came-poor-broken-family-1261024
翻訳:吉本
#バングラデシュ #ニュース #過激派 #コッランプール
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