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テロリズムの道を離れ、普通の人生に戻る時期だと考えたとある過激派幹部からの内部情報は、グルシャン(Gulshan)襲撃事件の首謀者とされるタミム アーメド チョウドリー容疑者を追跡する助けになった。
タミム容疑者の側近だったこの過激派幹部は、タミム容疑者が潜伏している可能性のある場所を法執行機関に明かした。
昨日のナラヤンガンジ県(Narayanganj)の作戦行動のわずか1時間前に得られたこの情報により、ダッカ警視庁(DMP)の反テロリズム課はここ最近最も探し求めていた人物の追跡と確保が可能となった。
「(昨日の)午前3時ごろ、タミム容疑者の側近が我々に重要情報を提供しました。我々はこれに伴い、ナラヤンガンジにある過激派の隠れ家で作戦を開始しました」
反テロリズム課のモニルル イスラム課長は話す。
この側近は警察による拘束は受けていないとモニルル課長は話す。
タミム容疑者の首には200万タカ(261万円)の懸賞金が掛けられていた。ナラヤンガンジのパイクパラ(Paikpara)にあった隠れ家で始まった"ヒット・ストロング27"作戦で、タミム容疑者は2人の共謀者と共に死亡した。
2人の過激派の身元は判明していない。
タミム容疑者はバングラデシュとカナダの二重国籍を持ち、昨年11月に発行されたイスラミックステート(IS)のプロパガンダ誌"ダービク"第12号で、"ベンガルのカリファ兵たちの長"のシャイク アブ イブラヒム アルハニフと名乗った。
だが政府はバングラデシュのIS系組織の存在を否定し、タミム容疑者は"ネオJMB"の指導者であるとする。
国内の違法組織ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)の工作員らは、サイドゥル ラーマンが指導者に就いて以来活動を止めていたが、ISの思想に触発されて"ネオJMB"を結成した。
警察によれば、タミム容疑者は国内の過激派を使い、グルシャンやショラキア(Sholakia)で行われた襲撃を首謀したという。
警察は8月1日にタミム容疑者ともう1人の首謀者ジアウル ホック元陸軍将校に対する各200万タカの懸賞金を発表した。
「タミム容疑者は本日幕を下ろしました。ジア容疑者も間もなく終わりになるでしょう。政府は彼を逮捕するため継続して取り組んでいます」
アサドゥッザマン カーン カマル内務大臣午前9時半ごろに始まった1時間の特別捜査の後、記者たちに話した。
タミム容疑者の最も重要な共謀者の1人も作戦において死亡したとカマル大臣は話す。
"ヒット・ストロング27"作戦はダッカ(Dhaka)のカルヤンプールで実施された同様の作戦の1ヶ月後に行われた。
7月26日に実施されたカルヤンプールの作戦では、過激派と思われる9人が射殺された。
タミム容疑者の隠れ家について情報を入手した直後、反テロリズム課配下の特殊火器戦術部隊(SWAT)とDMPの爆発物処理班はナラヤンガンジに乗り込んだ。
Two unexploded grenades on the roof of a nearby tin-shed house. Photo: Amran Hossain
「午前6時半ごろに隠れ家を特定し、午前6時45分には建物を封鎖しました」
反テロリズム課のADC サンワール ホサイン氏はデイリースターに話した。
「我々はテロリストたちに降伏を呼びかけました。ですが午前8時半ごろ、彼らは発砲し、手榴弾を投げました」
過激派らはAK-22セミオートマチックライフルで銃撃を行った。さらに重要書類を燃やし、携帯電話やノートパソコンを部分的に損傷させた。
だがいくつかの重要な証拠は警察が確保したという。
作戦班は"2次元"攻撃を行った。午前9時半ごろ、SWATのメンバーのうち15人は隠れ家(3階建て建物の最上階にあるアパート)を強襲し、近代兵器を用いて銃撃を行った。
残りのメンバーは近隣の建物から狙撃を行った。SWATチームを率いたアシクル ラーマン副所長補佐は話す。アシクル氏の部下40人が現場に向かったという。
過激派たちは数発の爆発物を投げ、50~60発の銃撃を行った。
「最上階の3部屋あるアパートの1室に入った時、2人の過激派が発砲し、手榴弾を投げました。ですが我々の熟練した部下たちはどうにか彼らを射殺しました」
タミム容疑者は個室にいた。
「彼も手榴弾を使おうとしましたが、射殺されました」
3人の過激派の遺体は調査報告が完了した午後6時ごろ、ナラヤンガンジ総合病院に搬送された。その後、検死のためダッカ医科カレッジに送られた。
警察は取り調べのため、家主のヌルッディン氏とその家族を含む10人以上を逮捕した。
拘束者の中には入居者ソライマンさんの2人の子どもが含まれている。
警察はAK-22ライフル1丁と拳銃1丁、マガジン数個、双眼鏡1つを発見した。
さらに警察は4個の手榴弾を回収した。これらは後に処理された。
<隠れ家>
ナラヤンガンジ市のパイクパラに位置するこの3階建ての建物は、チャサラ(Chasara)バス停から南に3キロほど離れている。
最上階には2つのアパートがあり、過激派たちはこのうち北側に住んでいた。警察によると、タミム容疑者は数日間そこに滞在していたという。
もう片方のアパートには別の家族が住んでいたが、特派員は身元をつかんでいない。
この建物はブリキの家8~10軒に囲まれているが、これらの家もヌルッディン氏が所有している。
このうちの1軒の入居者によると、火曜日に北側のアパートに住む居住者の1人が彼の所を訪れ、ブリキの家で空いている所はないか尋ねられたという。
「肯定的な返答をすると、その男性はさらに質問をしてからどこかへ行きました」
現場からわずか50ヤード(45.7メートル)の家に住むモハマド エモンさんによると、北側のフラットの窓はいつも閉まっていたという。
このフラットに面した近隣の建物に住んでいるセリナ カナムさんは次のように話す。
「ベランダに服が吊るされているのを見たことがありません。夜に2時間ほど明かりが点いているのを見たぐらいです」
家主のヌルッディンさんは隠れ家があった建物の1階に住んでいる。ヌルッディンさんによると、7月1日に民間企業のスタッフを名乗る2人の若者がこのフラットを月7千タカ(9148円)で借りたという。
2人はフラットを3人で利用すると話したという。ヌルッディンさんは2人の名前だけを憶えている。"ムラド"と"ラナ"だ。
だが反テロリズム課のサンワール氏によると、過激派が家を借りたのは7月5日だという。
作戦から数時間後、タミム容疑者と2人の共犯者の遺体の画像が公開された。タミム容疑者はうつ伏せに死亡していた。髭はフレンチカットで、きれいに整えられていた。
2人の共犯者のうち1人は腹の前にAK-22を抱えていた。3人とも黒いTシャツを着ていた。別の写真には血塗れの床に落ちている鉈やナイフが写っている。
昨日の午後9時半、警察本部は3人の遺体を様々な角度から撮った9枚の写真を公開した。
隠れ家から300ヤード(274.3メートル)ほど離れた所で茶店を営むトファイエル アーメドさんは写真を見た際、ライフルを持った男が火曜日、トファイエルさんの店で家主のヌルディン氏とお茶を飲んでいたと話した。
ヌルッディン氏はその男と入居者の詳細について話し込んでいたとという。
警察によると、この3部屋のアパートはカルヤンプールの隠れ家と同じく殆ど家具がなかったという。
<警視総監の説明>
午前10時半ごろ、作戦が完了した後、現場にいたAKM シャヒドゥル警視総監は次のように話した。
「彼ら(過激派)は手を挙げて外に出てくるよう言われました。彼らには投降の機会が与えられたのです」
「ですが彼らは4,5発の手榴弾を投げ、さらに発砲も行ったため、警察は反撃しました」
「狙撃手は隣の建物から銃撃を行いました」
「最終作戦は1時間続きました。我々は建物内に3人の遺体を確認しました。その1人は我々が持っていたタヒム容疑者の写真や描写と完全に一致しました。彼がタヒム容疑者であることは明らかでした」
シャヒドゥル警視総監によると、警察は作戦前にフラット内に女性や子どもがいないことを確認していたという。
家主が入居者の情報を提供したかとの問いに対してシャヒドゥル警視総監は、その件については捜査が必要である。だが家主は過激派たちを助けたと話した。
一方、犯罪捜査局(CID)はデータベースと照合して過激派の身元を確認するため、3人の指紋を採取した。
The Daily Star Aug 28 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/terror-kingpin-killed-1276525
翻訳:長谷川
#バングラデシュ #ニュース #グルシャン襲撃事件 #過激派
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