本日、国内では"歴史的な3月7日"が祝われる。
1971年のこの日、ボンゴボンドゥことシェイク・ムジブル・ラーマンはレースコース・マイダン(現:スーラワルディ・ウドヤン)の大集会での演説で、自由を愛するベンガル人たちにパキスタン軍との断固たる闘争を呼びかけた。
「我々は血を流したが、さらに血を流す覚悟ができている。この国の人々は解放されるのだ。アッラーの思し召しのままに!」
「今回の闘いは解放のため、独立のための闘いである」
ムジブル・ラーマンは午後4時23分から19分に渡る即興演説の中で、数百万の東パキスタン(現:バングラデシュ)人に決然と呼びかけた。
スローガンと喝采が響き渡る中、ムジブル・ラーマンはさらに専制や搾取、征服、剥奪に対し、武力をもって戦う覚悟を決めるようあらゆる階級の人々に訴えた。
人々は圧倒され、ムジブル・ラーマンの精神がしみ込んだ。
国全体に"勇敢なるベンガル人は武器を取り、バングラデシュの独立を成し遂げよ"というスローガンが響き渡った。
この演説はバングラデシュの歴史を変え、人々に独立戦争に対する覚悟を決めさせた。独立戦争は同年3月25日、パキスタン軍が非武装ベンガル人を攻撃したことで勃発した。パキスタン軍はその後9カ月間に渡って虐殺を行った。
攻撃が始まった直後、ムジブル・ラーマンは独立を宣言した。
この日を記念し、アブドゥル・ハミド大統領とシェイク・ハシナ首相はそれぞれメッセージを送った。
大統領は、この演説は自由のための熱い呼びかけだったという。
「建国の父に最大限の敬意を表します」
ムジブル・ラーマンの途方もない勇気と強いリーダーシップ、正しい指導がバングラデシュの独立に繋がった。この演説は何世代にもわたり、尽きることの無いインスピレーションの源であり続けるだろうと大統領は話した。
ハシナ首相は、この日は千年のベンガルの歴史の中で忘れられない日であると話した。
ムジブル・ラーマンはバングラデシュの自由を呼びかけ、独立の道しるべを示す一方、避けられない戦いを予感したと首相はいう。
この演説はジェイコブ・F・フィールド著"We Shall Fight on the Beaches: The Speeches That Inspired History (我々は海岸で戦う:歴史を動かした演説)"に収録されているという。
首相は人々に対し、バングラデシュの発展のために再び団結し、飢えの無い豊かな国を実現するよう呼びかけた。
「この精神で歩めば、バングラデシュは2021年には中所得国に、2041年には先進国となれるでしょう」
様々な社会文化団体や政治団体、学生、専門家らが、ムジブル・ラーマンへの献花や討論会、集会などの行事を企画した。
与党アワミ連盟は議事堂や政党事務所に国旗を掲揚し、議事堂内にあるムジブル・ラーマンの写真に花輪を供えた。
アワミ連盟とその関連団体は、全ての区やユニオン、ポウラシャバ(自治体)、郡、管区で集会を催す予定だ。集会ではムジブル・ラーマンの演説がスピーカーで流される。
アワミ連盟事務局長で道路交通橋梁相のオバイドゥル・カデル氏は、党内の各委員会と関連団体に対し、然るべきやり方でこの日を祝うよう要請した。
国営企業のバングラデシュベタル(ラジオ局)やバングラデシュテレビジョン、さらに民間のテレビ局やラジオ局は特別番組を放送し、国内の日刊紙は号外を発行する。
The Daily Star Mar 07 2016
http://www.thedailystar.net/frontpage/historic-7th-march-today-1372018
翻訳:長谷川
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