2013年4月24日、ラナ・プラザ崩壊で両親か片親を失った44人の子どもたちは、オールド・ラャジャヒ・カデット協会(ORCA)の支援で、ガイバンダ(Gaibandha)県フルッチャリ(Fulchhari)郡ホサインプール村に設置された家庭避難所で暮らしている。
2014年12月22日、様々な県からラナ・プラザ崩壊の犠牲者の子どもたちを集め、リハビリ施設としてORCAホームズを設置した。BGMEA(バングラデシュ衣料品製造・輸出業者組合)が協力し、場所はガイバンダ-バラシ(Balashi)道路沿いだ。
ホームが食べ物や学校、医療など子どもたちに掛かるすべての費用を負担する。建物は遊び場や図書館、遊具などを備えた3階建ての堂々としたものだ。
男子23人、女子21人の入所者は家庭的な環境の中で過ごし、ホサインプール・ムスリム・アカデミーの未就学児から8学年クラスに通う。
「入所者に適切な学校教育を行い、就職できるように手助けします。学校終了後の女子の結婚の世話まで手助けするつもりです。7人はここで子どもたちの世話をする仕事に就いています」
ホームの責任者でアカデミー副校長のシャヒクル・イスラム氏は話す。
「私たちはここで穏やかに暮らしていますが、母を思い出したとき、とても悲しくなります」
ラナ・プラザ崩壊で母親のファテマ・ベガムさんを亡くしたロングプール(Rangpur)県ピルガッチャ(Pirgachha)郡アビラム村出身のアルーアミンさんはいう。
ラナ・プラザ崩壊で母親のビューティー・ベガムさんを亡くしたフォリドプール(Faridpur)県サトバンギア村出身のアフサナ・アクターさんは、弟のアブドゥラさんと一緒にホームで暮らす。
崩壊で亡くなった1100人以上のうち、49人がガイバンダ県出身だ。さらに県出身の100人以上が重傷を負い、残り9人は行方不明のままだ。
ラナ・プラザ崩壊の犠牲者家族は政府補助金を3回に分け、14万5千タカ(19.3万円)受け取ったが、この4年間でそれ以上の援助はなかったと、家族唯一の賃金労働者を失って大変な毎日を過ごす複数の犠牲者家族は話す。
「娘のスミティ・ラニはラナ・プラザの従業員で、我が家で唯一の月給取りでした。でも娘が死に、残された私たちは大変苦労しています」
サドゥラプール(Sadullapur)郡キスマトハルディア村のサンディア・ラニさんはいう。
行方不明者の家族はさらに悲惨だ。ほとんど補助金を受けとれないからだ。
また、ラナ・プラザ崩壊で手足を失った多くの労働者は、家族に厳しい負担となる。
崩壊で右足を失ったサドゥラプール郡ダッキン・ダモダルプール村のソニア・ベガムさんは、首相基金から得た100万タカ(133万円)で夫が食料品店を始めたので、まだ少しは幸運な方だ。
バングラデシュ/The Daily Star Apr 25 2017
http://www.thedailystar.net/country/orca-homes-abode-44-orphans-1396000
翻訳:吉本
#バングラデシュ #ニュース #ラナプラザ
関連