1年後のホーリーアルチザン

ホーリーアルチザンベーカリーを満たす来店者の雑談や暖かいパンの香りが、高級カフェを覆った恐怖の光景を忘れさせてくれる。だが、死の包囲の衝撃は1年が経過しても未だに感じられる。

2016年7月1日、銃と刃物で武装した5人の若い男がカフェを強襲して数十人の人質を取り、22人が死亡した。犠牲となった人の大半は外国人で、その多くが残酷に殺された。

1年が過ぎた。別の場所で再び開店したカフェは、人気のパンやクッキー、菓子を求める客で混雑している。

「この場所が戻ってきたのは素晴らしい事です。カフェの再開はとても勇気ある行動です」
バングラデシュに5年住んでいるアメリカ人のローラ・ジェンキンスさんは、焼き立てクロワッサンを手に取りながら話した。

外国人居住者や主にグルシャン(Gulshan)地区在住の裕福なバングラデシュ人といった常連客がこぞって戻り、再開を決めたことが報われていると、カフェを経営するサダト・メーディさんはいう。

「彼らの反応が私たちにとって一番の刺激です」
サダトさんはAFP通信に話した。

過激派による襲撃として、バングラデシュ史上最悪の事件の1つに巻き込まれた人々の多くは、300億ドル(約3.3兆円)の経済規模を誇る国内主力産業の衣料品業界で働いている外国人たちだった。

[政府による取締まり]

イスラミックステート(IS)が襲撃の声明を出したものの、バングラデシュ政府は以前起こった複数の殺害事件に関わった国内過激派集団による犯行だと主張した。

襲撃事件は、バングラデシュの外国人や宗教的な少数派を標的とした一連の恐ろしい殺人事件のあとに発生し、多くの外国人がバンコク(タイ)へ避難することになった。

この衝撃に対する恐怖が衣料品業界に広まったことを受け、軍はイスラム過激派に対して前例のない取り締まりを実施した。

軍はこの1年間で、過激派と疑われる人物を70人近く殺害した。死亡した人物の中にはホーリーアルチザン襲撃の首謀者と目されるカナダ国籍のバングラデシュ人も含まれる。この他に多数の人物が逮捕された。

アサドゥッザマン・カーン内務相はAFP通信に対し、バングラデシュ人は"過激派に対する断固たる姿勢"を取ったと話した。
「彼ら(過激派)はさほど力を残していません。我々は少しずつ、全てを終わらせることができました」

だが、全員が賛同しているわけではない。

シェイク・ハシナ首相の世俗主義政府は、この事件を利用して政敵を悪に仕立てようとしているという批判もある。

「反テロリズムの持続的な取り組みは、いかなるものであっても大衆の反応が必要ですが、これは本質的には政党の垣根を超えた参加なのです」
ジャハンギルナゴール大学に籍を置く安全保障の専門家、シャバブ・エナム・カーン氏は話す。

「さもなくば、過激派たちのシナリオは国内に長く存在する政治的確執に必ず付け込んできます」

[武装する警備員]

治安状況が改善し、通りに政府軍の存在がより多く見られるようになったことで、襲撃事件を受けて避難していた外国人たちが戻ってきている。

高級レスランや駐在員クラブの多くは、襲撃防止のために武装した警備員や土嚢でできた壁を配備した。

これらの措置で、対価と引き換えに幾分かの安心がもたらされた。駐在員らはAFP通信に話した。

「モーニングティーを飲んでいる時、壁越しに自動小銃で武装した男性の姿が見えるのはあまりいい風景ではありません。ですが、彼が私の安全を守ろうとしている事だけは知っています」」
ブリトン・アンディ・フロードさんは話す。

重武装でホーリーアルチザンの周囲をパトロールする警官を見ると、いつも7月1日の夜のことを思い出す。

事件の生存者で、カフェのセールス責任者のシャハリアル・アーメドさんは、今でもあの夜の記憶が忘れられないと話す。
「あの記憶が何度も悪夢としてよみがえります。ですが、忘れたいのです。あの日の衝撃的な記憶を乗り越えようと、私たちは互いに助け合っています。私たちは普通の生活を送るために精一杯やっています」

バングラデシュニュース/Prothom Alo Jun 29 2017
http://en.prothom-alo.com/bangladesh/news/152379/Holey-Artisan-Bakery-thrives-a-year-on
翻訳:長谷川
#バングラデシュ #グルシャン #ダッカ人質事件 #ホーリーアルチザンベーカリー