90歳の若者

90歳の若者
【The Daily Star】言語運動*の歴戦の勇士、90歳のアブドゥル・カダール・バサニさんはまだ自分の香辛料畑で懸命に働いている。同世代のほとんどは家の中で受動的な生活を送っているというのに。

バサニさんの香辛料栽培の成功を見て、ラルモニルハット(Lalmonirhat)県ショドル(Sadar)郡ハルディバリ村の多くの農家は、自らの土地でタマネギやニンニク、その他香辛料の生産を始めた。

おそらく県内唯一の言語運動の生き残りであるバサニさんは、学生時代から香辛料栽培に携わってきた。農業はバングラデシュの命だと、彼は信じている。

バサニさんは年間を通して、およそ40デシマルの土地にタマネギ、ニンニク、生姜、チリ、コリアンダー、ターメリック、ミントを栽培し、収益を上げていると、県のカビール・ウディン農業官副助手。

言語運動の勇士はまだ自転車に乗って畑まで行き、作業をこなす。彼は理想的な農家だと、カビール氏は話した。

「畑を香辛料栽培に使うなら、期待通りの生産量を得ることができると確信しています」
「私はまだ農作業に時間を費やすことができるので幸運です」
バサニさんは話す。

「香辛料栽培についてバサニさんからアドバイスをもらっています。生産物を売ることで、より多く稼げるようになりました」と言うのは村の農家、モクリザー・ラハマンさん(58)。

「父はまだ家族のために働いています。そのうえ、一瞬たりともさぼったりしません」
息子のジャマル・アブドゥン・ナザール・ジャドゥさんは話す。

言語運動の英雄は、息を引き取るまで働きたいと話した。

ボサニさんは1928年、故ナジール・ウディン・サーカーさんとメヒマ・カトゥンさんの間に生まれ、ロングプール・カーミカエル・カレッジに通った。1952年、ラルモニルハット政府高等学校の5年のとき、言語運動に身を投じた。

*1948年3月、パキスタンのM・A・ジンナー提督は当時東パキスタンだったダッカを訪れ、新国家の公用語はウルドゥー語のみにすると演説した。この演説をきっかけに東パキスタンで母語(ベンガル語)化運動が高揚した。だがパキスタン指導部にとり、ベンガル語に国語という地位を与えることは政治的な敗北だった。その結果東パキスタンのベンガル人エリートたちの欲求不満が一層高まり、大衆運動へと発展。警察による弾圧をもたらした。とりわけ、1952年2月21日の弾圧は警官の発砲で学生4人に犠牲者が出るなど、特に多くの死傷者が出た。母語化(言語)運動は東パキスタンでの選挙勝利、西パキスタンに対する自治権要求、内戦へと広がり、1971年のバングラデシュ独立の立役者となった。以来、2月21日は自分たちの母語が正当な地位を獲得するため、自らの命を捧げることをためらわなかったベンガル青年たちを記念する殉教者の日、ベンガル語母語化運動記念日となった。2月21日の弾圧から47年後の1999年、バングラデシュの働きかけによって、国連(ユネスコ)はこの日を国際母語デーと定めた。

Bangladesh News/The Daily Star Feb 21 2019
https://www.thedailystar.net/country/news/youth-90-1705087
翻訳/解説:吉本
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