[Prothom Alo]それは7月18日木曜日の午後、ナルシンディ市のジャイルカナ・モール交差点でのことでした。警察は割り当て改革を要求する抗議者を追跡していました。発砲が続く中、レンガが投げつけられていました。
9年生のタミッド・ブイヤン・タミム君(15歳)はゴム弾に当たってその場で死亡した。デモ参加者は彼の遺体を担架に乗せてスローガンを叫んでいた。その時、警察が再び発砲。弾丸はタミッドの遺体にも当たった。
約100ヤード離れたところに立っていたタミッドさんの父ラフィクル・イスラム・ブイヤンさんは、なすすべもなくその光景を目撃した。その日、銃撃されて治療を受けるために病院へ行った抗議者のうち数人の学生も、プロトム・アロの特派員に対し、再び銃弾が体に当たったという同様の説明をした。
亡くなったタミッドさんは、ナシマ・カディル・モラ高等学校と寮の生徒だった。タミッドさんは3人兄弟の長男だった。父親は村の医師で、母親は主婦。夫婦には13歳と3歳の2人の娘がいる。
タミッドさんの家は、事件現場(ジェイルカナ・モール)から300ヤード離れた、ナルシンディ・サダール郡チニシュプール連合のナンディパラ村にある。先週の火曜日にタミッドさんの家を訪れたところ、庭に担架が置かれているのが発見された。
遺族らによると、担架は100床のナーシンディ地区病院から運ばれてきたもの。タミッドさんの遺体は先週木曜日(7月18日)の午後、同じ担架で自宅に運ばれたという。状況により、まだ自宅へは戻せない。タミッドさんの父親は、その日から意識不明の状態が続いている。
タミッドさんの親族によると、事件当日は家族全員が一緒に昼食をとった。その後休憩中、タミッドさんと妹のリナットさん(13歳)は携帯電話でゲームをしていた。ある時、タミッドさんは母親が台所で働き、父親が隣の部屋で昼寝をしている間に家を出た。
タミッドさんが通りに着くと、近所の女性が「どこへ行くの?」と尋ねた。それに対してタミッドさんは「ジェイルカナ・モールで何が起こっているか見に行くだけ」と答えた。
その女性は混乱の中に入らないようにと警告していたが、タミッドさんは彼女の言うことを聞かなかった。タミッドさんがどこにも見当たらないのを見て、家族は彼を探し始めた。
一方、タミッドさんはジェイルカナ・モールに到着すると、抗議活動参加者の中にいた。警察は当時発砲していた。タミッドさんが警察のゴム弾で撃たれた現場の正確な場所は確認できなかった。
抗議者たちはタミッドさんを近くの100床の地区病院の救急室に搬送した。医師が死亡を宣告するとすぐに、抗議者たちは遺体を病院の担架に乗せて抗議活動の現場に運んだ。
100床のナルシンディ地区病院のANMミザヌール・ラーマン院長は、「学生たちはゴム弾で撃たれ死亡したタミッドさんを病院に運んできた。彼が死亡したと宣告された直後、興奮した学生たちは病院を破壊した。私たちは彼の遺体を検死のために死体置き場に送りたかったが、学生たちの怒りを前にそれができなかった」と語った。
病院から出た抗議者たちは、担架に乗せたタミッドさんの遺体をシャヒード・ミナール(ジャイルカナ・モール付近)前のスタジアムのゲートまで運んだ。その時、彼らはタミッドさんの遺体を自分たちの前に置いてスローガンを叫び続けた。そして、彼らに向けて再び銃弾が発射された。
タミッドさんの父親ラフィクル・イスラムさんがその時現場に到着した。彼は息子の体に再び銃弾が当たるのを目撃した。ラフィクルさんが叫び続けると、抗議者たちは彼をモスクの中に引きずり込んだ。
銃撃が少しおさまると、ラフクルさんは生徒たちの助けを借りてタミッドさんの遺体を持って帰宅した。タミッドさんの学校と地元のイードガーで2回にわたって祈祷が行われた後、木曜日の夜、検死も行われずにチニシュプール墓地に埋葬された。
タミッドさんの隣人や地元住民は、このような死を受け入れるのに苦労している。この記者はナンディパラ村の少なくとも10人に話を聞いた。彼らの言葉によれば、タミッドさんは意図的に抗議活動に参加したわけではないという。
ダッカ大学とジャハンギルナガル大学で学んでいた彼のいとこ2人は家にいて、その日の抗議活動にも参加しなかった。どうして彼がそこに行ったのか不思議だ!好奇心から行っただけで、彼はこんな結末を迎えた。知り合いに会って、彼らに加わったのかもしれない。
ラフィクル・イスラム・ブイヤンさんは、「地区当局は私に検死をするように言ったが、私は同意しなかった。警察は皆の前で息子を射殺した。検死に何の役に立つというのか?息子は戻ってこないだろう。」と語った。
Bangladesh News/Prothom Alo 20240727
https://en.prothomalo.com/bangladesh/local-news/hjf8odxm3m
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