追悼

追悼
夜通し続いた雨の後の空は薄暗かった。国内を震え上がらせた前代未聞のテロ攻撃で命を落とした人々へ流す涙のようだった。

アーミースタジアムを包みこむ静寂の中、人々は安置されている棺まで歩を進め、花輪を供えた。ホーリー アルチザン ベーカリー事件で犠牲となった22人を悼む、国を挙げての服喪期間の2日目、人々の心は深い悲しみに満ちていた。

あるものは涙を流し、またあるものは涙を必死にこらえ、スタジアムは重い雰囲気となる。しかし彼らは悲しみを力に変え、過激主義者たちと闘う決心を固めている。

ハシナ首相や各国の外交官、犠牲者の親族、一般市民に至るまで、誰もが憂鬱な雰囲気だった。

「ダッカ(Dhaka)にだけではなく、アフガニスタンやイラク、トルコに対しても涙を流しているのです」
イタリア人のアグネス・バロロさんは言う。

「私たちには平和が必要です。平和だけが必要なのです。世界平和のため、私は罪を犯した人たちのためにも祈ります」
アグネスさんは涙ながらに言う。アグネスさんはゴーホル リズヴィ首相外務顧問の妻でもある。

命を落とした人たちがみんな安らかに眠れるよう、アグネスさんは祈る。

バングラデシュ人のファラーズ アヤーズ ホサインさんとイシュラト アコンドさん、バングラデシュ生まれのアメリカ市民アビンタ カビルさんの3人の棺がスタジアムへ運ばれ、演壇に置かれた。

2つの棺はバングラデシュ国旗、もう1つはバングラデシュとアメリカ国旗に覆われた。

演壇の後ろにはバングラデシュ、インド、イタリア、日本、アメリカの国旗が掲げられた。金曜日のテロで犠牲となった人々を偲んでだ。

インド国民のタリシ ジャインさんの遺体は昨日の朝インドに送られた。

イタリア人9人と日本人7人の遺体は関係国の要請により、スタジアムには運ばれなかった。遺体の本国送還が進行中だ。

国際協力機構(JICA)の北岡伸一理事長によると、日本人7人は全員ダッカの交通事情改善に向けて取り組んでいたという。

イタリア人のうち少なくとも6人は独自の衣料品ビジネスを行っていたか、もしくは衣料品産業で働いていた。

「ホーリー アルチザン ベーカリーの悲劇で犠牲となった人々をバングラデシュ国民は深く追悼します」
仮設舞台の上部に掛けられている黒色の垂れ幕が読み上げられた。

シェイク ハシナ首相は白黒柄のサリーと黒色のリボンを身に付け、午前10時にスタジアムに到着した。ハシナ首相は演台に花輪を供えた。

その後、ハシナ首相は犠牲者への敬意として、厳粛に沈黙したまま1分間立ち続けた。ハシナ首相は犠牲者の親族と会話し、弔意を表した。またアメリカや日本、インド、イタリア使節とも話した。

マルシア バーニキャット アメリカ大使、渡邊正人日本大使、ハーシュ ヴァルダン シュリングラ インド大使、マリオ パルマ イタリア大使も犠牲者に弔意を表した。

親族、友好国の使節、内閣、アワミ連盟と14政党連合の指導者、バングラデシュ民族主義党(BNP)の指導者、企業の指導者、南北ダッカ市長もテロの犠牲者らに花輪を供えた。

午前10時40分ごろ、遺体が家族に引き渡された際には陰鬱な雰囲気に包まれた。

[悲しみを力に]

「とても悲劇的で、非常に残念です」
1971年の独立以来初めての悲劇を取材するためバングラデシュを訪れていた日本人ジャーナリスト、ハナダ ヨシヒサさんは言う。

「バングラデシュでこのような残酷な事件が起こるとは思ってもいませんでした」
ハナダさんはこのような事件が繰り返されないことを望んでいる。

近年で最も多くのイタリア人が殺害されたため、イタリアは強いショックを受けている。RAIニュース24のイタリア人ジャーナリスト、イラリオ ピアグネレッリさんはいう。

「イタリア人はショックを受けています。イタリア人は世界中のどの場所でも、平和にビジネスをしています。バングラデシュの人たちにも本当に好かれていました」

哀悼者たちは、もはや一国の問題ではなく人道に反する国際的な脅威となったテロリズムと闘うため、より大きな結束を呼びかけた。

「我々は弔っています。我々は長い歴史の中でこれほどの悲劇を経験したことはありません。したがって、今は話すべき時ではありません。我々が抱くとてつもない思考や、大きな怒りや不安以外の感情は言葉にできません」
ゴーホル リズヴィ氏は言う。

「我々はテロリズムには屈しません。1971年の開放戦争で独立を勝ち取った時のように、我々は彼らとあらゆる場所で闘います。我々はテロリストと闘い、我々の国から追い出すのです」
ゴーホル氏は言う。

シュリングラ大使は次のように話す。
「インドはバングラデシュの友人として、パートナーとして、そして隣人として、憎むべきテロリズムと闘います」
「この闘いはあなたたちだけのものではありません。我々の闘いでもあるのです」
ベテランの演劇活動家、マムヌル ラシドさんは国内が団結する必要性を強調する。

「解放戦争の時には国内の団結が生まれました。テロリズムに立ち向かうため、地位や信条、政党に関係なく、再び国が一つになるときが来たのです」

「我々は彼ら(過激派)と文化的、政治的に闘わなければなりません。社会的な抵抗がなければ、警察だけで彼らを止めることは不可能です」

バングラデシュ・クリスチャン教会のニルマル ロザリオ理事は、政府は事件の公正で徹底した調査を行うともに、適切な処置を取り、国のイメージを回復させなければらならないとした。

「バングラデシュにはコミュニティ調和の歴史があります。これは私たちの伝統と誇りであり、このままであってほしいと思います。今回の襲撃はこのような調和の存在に打撃を与えました」

「人々による反対運動を起こす必要があります。そのためには、我々は悲しみを力に変えなければなりません」
ニルマル理事は言う。

アイチ医科カレッジのウルファト ジャハン ムーン理事長によると、夫は日本で博士号を取り、日本の協力を得てバングラデシュに病院を設けたという。

「日本が受けるダメージは我々へのダメージでもあります。今、私たちは恥ずかしくもあり、驚いてもいます。私たちの弔意は言葉にできません」
ウルファトさんは全ての保護者に対し、子どもに十分気を配るよう呼びかけた。

「1971年、解放のために団結したように、全ての人々が団結しなければなりません。今は過激派やテロリズムとの新たなる闘いの時です」

The Daily Star July 05 2016
http://www.thedailystar.net/dhaka-attack/mourning-tears-1250524
翻訳:Y.H.