タリシは生きたかった

タリシは生きたかった
「タリシを殉教者と呼ばないで。彼女は生きたかった」
ダッカのテロ攻撃で殺されたタリシさんの母親トゥリカ(Tulika)ジャイン(Jain)さんは言った。

昨日のタリシさんの火葬時、悲しみに沈んだトゥリカさんは「なぜ襲撃者たちは私の娘を殺したの。私には娘が殺された理由が必要です。命はそんなに安っぽいものですか」と繰り返し尋ねた。娘の棺の上で。彼女はその間ずっと泣いていた。

「なぜ私のタル(Taru)が。彼女はいい子だった。タルが死ななければならないなんて、私たちはどんな間違いを犯したというの」
トゥリカさんは尋ねた。
「タリシを殉教者と呼ばないで。彼女は生きたかった。タルが追い詰められていたとき、私はほんの少し離れたところにいました。なぜ私は何もしなかったの」
トゥリカさんは自分自身に問い続けた。

テレグラフによると、カリフォルニア大学バークレー校で経済学を勉強していた19歳のタリシさんは昨日、インドのグルガオン(Gurgaon)にあるスクラリ(Sukhrali)村で火葬された。

タリシさんはイースタン銀行(Eastern Bank Limited:EBL)のインターンシッププログラムに参加するため、バングラデシュに滞在していた。プロジェクトはEBLの商取引の成長機会に関するものだった。

取り乱したトゥリカさんだったが、気を強く持ったまま、ダッカからデリーへの航空便で娘に付き添った。彼女はタリシさんが生き返ると固く信じていた。

しかし火葬が始まったとき、現実を十分に理解したトゥリカさんはある親族(ママジさん)に次のように懇願した。
「すべてがうまくいく。ママジ(Mamaji)、あなたは医者なんだから、何とかして。薬が奇跡を起こせると知ってる。娘が起き上がると分かってる。ママジがタルを私のもとに連れてきてくれる。タルを私のもとに連れてきて」

トゥリカさんはタリシさんがインド人だったから殺されたと信じていた。
「みんなに真実を言って。娘はインド人だったから殺されたという真実をです」
彼女は夫のサンジブ(Sanjiv)さんに言った。

「私は何も分からない。なぜあの子が死んでいるの、教えて。なぜあの子は死ななければならないの。彼女は十代の若者が普通にするように、ただパン屋にいただけです。彼女は休日にダッカに行き、そこの人々にとても役立つことをしたかった。どうして彼女はテロリストの敵だったの?」
トゥリカさんは周りを取り囲む人たちに問い続けた。

自身が暴力で夫と姑を失ったソニア・ガンジー国会議長は、「心からのお悔やみ」を表明し、タリシの両親に手紙を書いた。

「あなたのお嬢様の死を聞いて、私は本当に苦しみました。これは悲劇的な事件であり、人道に反しています。この種の暴力は全世界の地域社会にとって汚点です。冷酷に人々を殺す人たちは、何人の幸福も祈ることなんてできません。私たちはこれに反対する雰囲気を作り上げる必要があります」とソニア氏は書いた。

「ご両親やご親戚がお嬢様の死を受け入れることは非常に困難であると分かっています。ですが耐え続ける以外に方法はなく、慰める言葉は存在しないのです。しかし私たちの人生には自分たちの手で制御できないことが何度かあります。それでも私たちは自分の人生を歩んでいくしかないのです」
ソニア議長は話した。

The Daily Star July 5 2016
http://www.thedailystar.net/dhaka-attack/%E2%80%9Ctarishi-wanted-live%E2%80%9D-1250647
翻訳:アラトモ

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