【The Daily Star】アブドゥル・ハキムさん(45)が20カ月前にベンガル湾の離島ボサン・チャールに上陸したとき、彼の最大の関心事は仕事を見つけることだった。コックスバザール(Cox’s Bazar)の窮屈なロヒンギャ難民キャンプから第一陣として移動してきた島では、ほとんど仕事がなかったからだ。
「今は日雇い労働者として働き、1日400タカ(577円)の収入を得ています。今後、農業や漁業という選択肢もあるので、家の裏庭で野菜を育てています」
ハキムさんは電話越しに話した。
ハキムさんは、ウクヒアやテクナフの難民キャンプからノアカリ(Noakhali)県のボサン・チャールに段階的に移住させられた3万人のロヒンギャのうちの1人だ。バングラデシュ政府はロヒンギャにより良い暮らしを提供し、キャンプの負荷を軽減することを目的に、2020年12月からロヒンギャの移住を開始した。
メグナ川河口の沈殿物によってここ20年で形成されたこの島には、現在、レンガ造りの建物を持つ120のクラスター村と、120のサイクロンシェルターがある。バングラデシュ海軍が310億タカ(447.2億円)の税金を使って島の住宅開発プロジェクトを行った。
プロジェクトは、約75万人のロヒンギャがミャンマーのラカイン州での残忍な軍の弾圧から逃れ、コックスバザールに避難した2017年8月25日以降に始まった。彼らは過去の弾圧で逃れてきた約30万人のロヒンギャと合流した。
今日、過去最大の脱出から5年目を迎えるにあたり、さらに約1千人のロヒンギャがボサン・チャールに到着する予定だ。
数軒の商店があるだけの静かで落ち着いた孤島だったボサン・チャールは、難民たちによって約100の店舗が立ち並ぶなど大きな変化を遂げた。ショッピングモールもできている。
「私が最初にここに来たときは、生活の気配はなく、建造物ばかりでした。今は活気があります」
昨年この島にやって来たアムザド・アリさんはいう。
初期段階では国連がボサン・チャール・プロジェクトに関与していないにもかかわらず、現在、国連を含む国内外56機関のNGOがこの島で活動している。
一方、ロヒンギャはコックスバザールとボサン・チャール間の移動許可を強く求めており、これには国連も賛同している。
この要求を受け、約2500人のロヒンギャがすでにコックスバザールと島の間を行き来したと、関係者は述べた
「これは、ロヒンギャ難民をボサン・チャールに誘導することにとても役立ちます」
ボサン・チャール・プロジェクトとして知られるアシュラヤン3プロジェクトの責任者ラシュ・サタール提督は特派員に述べた。
もう一つの課題は雇用機会の創出だが、これは国内の電子機器製造会社が、約100人のロヒンギャに電子部品の組立て訓練を行うなど大きな成功を収めているという。
「現在、ボサン・チャールの住民500人が、その会社の工場でさまざまな仕事をしています」
だが、ボサン・チャールが良いところだったにしろ、ロヒンギャにはたえず望郷の念が付きまとう。
ロヒンギャ住人のヌルル・カラムさんは、島での生活やその他の施設が充実しているにもかかわらず、ミャンマーに帰りたいという。
「ここでの生活は多かれ少なかれ落ち着いていて安全です。でも、私はできるだけ早く故郷に帰りたいのです」
ヌルルさんは訴えた。
Bangladesh News/The Daily Star Aug 25 2022
https://www.thedailystar.net/rohingya-influx/news/bhasan-char-better-conditions-home-still-beckons-3102681
翻訳編集:吉本